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● 揃いの月 --- 操獣法(1) ●

 ピーッ。
 グスタフは一瞬で飛び起きた。次の瞬間には布団をかなぐり捨てている。布団はぐんにゃりと部屋の真ん中でわだかまったままピクリとも動かない。
 ――勝った。
 グスタフはふっ、と笑った。幸先がいい。
 
 
 荷物は前の晩に用意してあったので、グスタフは身支度を整えると、小さな荷物を背負って部屋を出た。一泊だけなので用意するものなんてほとんどなかった。朝晩はまだ冷えるので濡れて体を冷やさないための衣類やタオルの包みが一番嵩をとっていたが、他にはほとんど何も入っていないと言っていい。携帯用の食料を少し。食料とは別に、甘いものを少々。グスタフは甘いものは大変苦手だったが、山に行くときにはいつも持っていくようにしている。それから塩と砂糖と唐辛子。ナイフの予備と砥石。魔力の結晶を一つ。その他に必要になりそうなものは何も思いつかなかった。
 朝日はまだ昇っておらず、まだ寝ぼけているようだった体に冷たい空気がすがすがしい。
 ふと……
 背後に気配を感じて振り返った。
 驚いたような顔をしたジェムズがそこに立っている。肩に乗っていた件のリスは、グスタフを見るとキィッ! と叫んで駆け去って行った。やっぱりな、と思う。リスを操っているものは、やっぱりグスタフに近づくのを避けている。
「おはよう」
 機先を制してやると、リスの行方を目で追っていたジェムズは戸惑ったような笑みを見せた。
「──おはよう、グスタフ。……驚いたなあ、いきなり振り返るからさ」
 そうか、とだけ返事をして再び歩き始めると、ジェムズはすぐに横に並んだ。
「いよいよだなあ」
「そうだな……」
 生返事をしながら、そうだな、本当にいよいよだ、とグスタフは考えた。高等学校に入ってからまだほんの数日しか経っていないなんて信じられないような気持ちだった。もう何年も経ったような気がする。ずっと昔から、カルムたちと仲良くしてきたような。
 ──それだけに。
 思考が飛びそうになったとき、不意にわきから声がした。
「おいおい素通りかよ」
 カルムが自分の部屋から顔を出している。グスタフはふっと笑った。自分の気持ちがほぐれるのを感じる。まだまだ俺も未熟者だよな、なんて考えながら、
「遅いぞ」
 言うとカルムは恨めしそうな顔をした。
「ちょっと待っててくれ。五秒だけ」
「五秒?」
「いーち、にーい……」ジェムズが律儀に数え始める。カルムは慌てて中に引っ込んだ。
「……しーい、ごー! 行くぞー! 待てないぞー!」
「待て待て! 本気で五秒しか待たない気か、くそ──」
 バタバタと中で暴れる音がして、それから五秒ほど経った後にカルムが姿を見せた。ジェムズがすぐさまからかう。「遅いなあ、身だしなみチェックか?」
「うるせえ」カルムはふん、と鼻を鳴らした。「リーダスタと一緒にすんな」
「じゃあなんだ、姿見に見とれてたってのか?」
「さっきのとどう違うんだよ」
 二人はケラケラ笑っている。朝から大声で笑えるというのはいいことだな、とグスタフはふと思った。昨日のカルムはずいぶんつらそうだったけれど、今日はなんだか吹っ切れたようだ。
「相変わらず仏頂面だなお前」唐突にカルムが絡んできた。「もうちょっとニコヤカな顔はできないのか?」
「生まれつきなんだ」
「表情筋が不自由な人なんだな」
「うるさいなあ」
 思わず口元をゆがめてしまう。カルムはしてやったりとばかりにニヤニヤした。
「ほらお前笑うと可愛いんだよ。もっと笑ってみな? ん?」
「酔っ払ってるのか?」昨日とはずいぶんな変わりようじゃないか。
 まあいつもの調子を取り戻したというのはいいことだ、と思っているとカルムは大仰な声を上げた。
「なんてこと言うんだ! 俺は生まれてこの方酔っ払ったことなんかないぜ」
 ほー? とジェムズが言う。「品行方正だったんだな?」
「そりゃもう天使さまのように育てられたんだよ」
「とんだ駄天使だな」
「ばっかだなお前そりゃ堕天使だろ──」
「いいんだよお前なんか駄で」
「なんだとう」
 いきなり不穏になっている。グスタフはこらえきれずに吹き出してしまった。
「おおおっ! グスタフが笑った!」
「俺の手柄だなニヤリ」顎に指を当ててジェムズが言う。
「なんだよニヤリって」
「俺のこの素敵な微笑が見えないのか?」
「歪んだ顔なら見える」
 何でこの二人はこうあっさり会話が弾むのだろう……。悩みつつも、グスタフはもう取り合わないことにした。こんな調子じゃ時間までにファーレナ山にたどり着けそうにない。

*   *   *

 試験会場までは歩いて一時間ほどの道のりである。
 途中で練り粉を練りながら歩き、腹ごしらえを済ませた三人がたどり着いたのは時間ギリギリで、ポルトはやはり先に来ていた。担当らしいイムジー指導官と二人、所在なげに待っていたのかと思うと少し気の毒になる。
「遅かったじゃないか。心配したんだぜ」
 不満そうなポルトの顔は、上ったばかりの朝日に照らされていつもより余計に赤く見えた。
「悪かった」
 グスタフがあっさり謝ったので、ポルトは面食らったようだ。「まあ……間に合ったから、いいけどさ」
 時計を見て時間をはかっていたイムジー指導官は、パチン、と時計の蓋を閉じた。
「カルムにグスタフ、ジェムズ、ポルト……四人揃ったね」彼はにっこりした。「それじゃ、試験をはじめよう。開始地点はここで、終了地点もここだ。明日の夕方六時に、めいめい一頭ずつ『足』となる獣を捕まえてここに戻ってくること。試験内容はそれだけだ」
「質問」ポルトが手を上げた。
「どうぞ?」
「『足』としてつかえるなら、どんな獣でもいいんですか?」
「そう」イムジー指導官はうなずいた。「なんでもいいよ。手なづけられるなら、銀狼でも」
 次に手を上げたのはジェムズである。「六時に、戻ってくるんですね? 六時までに、じゃなくて?」
「そうだね。時間前に戻ってきてしまったら、どんな理由があれ失格になるって聞いてるよ」
 そういうことは早めに言って欲しいものだ。その気持ちが伝わったのか、イムジー教官は両手を上げた。「六時かっきりに、ここで会おう。時計は合わせたか?」
 四人はそれぞれうなずいた。お互い確認しあってみても、イムジー教官のと比べてみても、ほとんどズレがなく合っている。
 他に? と聞かれたが、全員が首を振った。内容がそれだけなら、わかりやすくていい。イムジー指導官はまた時計を覗き込み、時間を確認して言った。
「ちょうど六時だ。──それじゃ行っておいで。幸運を祈るよ」
 俺はここでキャンプしてるからな。言いながら手を振るイムジー教官に背を向け、四人は山に足を踏み入れた。

*   *   *

 山は早朝の空気に透き通って見えた。
 
「それで操獣法というからには【足】を捕まえなきゃならないわけだが、」とジェムズが言った。「何を狙う? それによって目指す場所も変わってくるわけだし」
「マティス! マティス! マティス!」
 カルムが連呼し、グスタフはうなずき、ポルトは渋い顔をした。「なにもわざわざマティスを狙うことはないだろ?」
「ラテは却下」腕組みをしてカルムが言う。「ラテはつぶしが利かない」
「いいじゃんかよ別に利かなくても……」
「そうはいかない。ラテは体が小さいし、体力もないし、空も飛べない」
「マティスも飛べないだろ」
「うるさいな。とにかく俺はマティスがいいんだよ」
 カルムは一歩も譲る気はないようだった。ポルトは渋い顔をしている。
「けどさマティスって捕まえるの、難しいだろ」
「難しいな」ジェムズがうなずく。
「それに危険だろ」
「それもそうだ」とまたジェムズ。カルムは鼻を鳴らした。
「難しくて危険だからこそいいんじゃないか。マティスは少々のことでは動じないし、乗っていても楽だし、……それにほら、忘れたのか? この試験で捕まえた【足】は自分のものにしていいんだぜ」
 グスタフはカルムにまったく同感だった。せっかく捕まえるのだから、上等なマティスの仔が欲しかった。マティスは手なずけるのは難しいが、一度主だと認めさせてしまえば一生その人間にしか懐かない。旅をするのに一番信頼できる伴侶になるのだ。
「俺もマティスがいい」
 口を開くとポルトは憮然とした。「──そうかよ。ミンスター族は騎馬民族だから、マティスを捕まえるのもお手の物だろうぜ」
「どうしてお前はそう……」カルムが言い募ろうとするのを、グスタフは手で制した。
「別に秘伝ってわけでもないから、教えてやるよ。だから挑戦してみないか」
「……挑戦?」
「マティス狩りってやつにさ」
 言ったグスタフの右目の端に、小さなリスが走り抜けていくのが見えた。

*   *   *

 マティスは大柄な草食の動物である。
 普段は大人しいが、いったん怒らせると手がつけられない。何しろ大きさが人間の倍はある生物のこと、背中から振り落とされるだけでもひどい衝撃を受けることになる。体重がある割りに足が速い。突進してくると大地が震える。だから極力刺激しないことが大事なんだ、とグスタフは道々一行に説明した。
「ラテは落とし穴で捕まえるんだろ」とポルトが言う。
「いや、落とし穴より待ち伏せが多いな」
 グスタフの答えに、ジェムズが目を丸くした。「待ち伏せ? どうやるんだ?」
「ラテは単純だからな、餌を撒いて待っているとのこのこやってくる。そこへ手綱を取り付けて、それで終わり」
「ずいぶん簡単そうに言うけどなあ……」
「簡単だよ。手綱をつけるときかなり暴れるけどな」
 淡々と説明するグスタフは本当になんでもないことだと思っているようで、カルムまで感心してしまった。ラテは臆病ですばしっこい生き物だ。その生き物を待ち伏せして近くに来させるだけでも大変なのに、手綱を取りつけるなど……投げ縄のようにしてつけるのだろうか?
「それじゃ、マティスはどうやって?」
 訊ねるとグスタフは少しだけ首を傾けた。
「仔を捕まえるんだから、罠かなやっぱり」
「罠?」
「マティスはカヒの実が大好きだから、まずカヒの木が生えてるところを探すだろ」
 カヒって何? とポルトが聞く。グスタフが丁寧に答えている。カルムはイライラした。どうしてグスタフはあんな首都意識丸出しの嫌味な奴にいちいち気を使ってやるのだろう?
「そしたらそこで待ち伏せする。仔連れのマティスが来るのを待つ。やってきたら、仔が充分に近づくのを待って、親に見つからないように何とかして目を覗き込む」
「目を?」
「人間のほうが精神力が強いから、マティスは一瞬金縛りにあったみたいになる。ヘスの麻薬を使うときと同じ要領だよ。剣の意思さえもたなければ、金縛りが解けた後、仔は気を許して近寄ってくる」
 珍しく一生懸命話しているグスタフの声を聞きながら、カルムは黙って足を進めた。ファーレナ山は高等学校領で、普通の人は立ち入り禁止になっている。当然登山道など整備されておらず歩きやすいとはとても言えない。木の間にできた細い隙間を縫って行くために、一行は自然と一列になっていた。一番前はカルム、次がジェムズ、ポルト、グスタフの順である。一番前というのは話に加わりにくくてちょっとさびしい。
「……カヒの木ってのは一般に……この辺の緯度だと山の中腹辺りに生える」
 後ろのほうでグスタフの講釈が続いている。ポルトとすっかり仲良くなってしまったようなのが、なんだかわけもなく悔しかった。
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