カルムは食事を取るとすぐに寝入ってしまった。
グスタフは隣の寝台に仰向けになって、眠ろうと努めていた。余計なことを考えすぎないためには寝てしまうに限る。……それでもなかなか眠れなかった。カルムの寝息が静か過ぎて、耳を済ませていないと聞こえない、というせいもある。
グスタフは心配でたまらなかった。先ほど、校長と交わした会話のせいというよりは、カルムの白すぎる顔色のせいだ。カルムはもともと色が白い方だが、さっきは白を通り越して透き通って見えたのだ。
──カルムは今とても不安定な状態だ。
試験を終えた後、校長はそう言った。次のものが来るまで少し話をしよう。校長は言ってグスタフを椅子に座らせ、ツィスを二つくれた。生まれて初めて食べたツィスは想像を絶する美味しさだったが、校長が話し始めるとその味を感じなくなってしまった──校長の話があまりにも、不思議なものだったから。
『君はカルムと仲がいいようだね』
校長はさりげない口調で話し始めた。
『はい』
確かに仲は悪くはない。そんなひねくれたことを考えていると、校長の顔がとても真剣なのに気づいた。
『……グスタフ、君はとても優秀な学生だ。君の書いた地図を見せてもらった。君はたった一人でも、未開の地でたくましく生き抜き、われわれに情報をもたらす、たぐいまれな才能がある』
校長は暖かな声でそう言った。グスタフは思わず居住まいを正した。こんなところでほめられるなんて、思ってもみなかったことだ。
『君が、カルムと仲が良くて、わたしは、……とても嬉しいと思っている』
グスタフは無言で先を促した。
『カルムとは昔からの知り合いでね。彼と初めて会ったのは、今からちょうど十年前だ。その時、ここである事件がおこって……』
十年まえ、高等学校で起こった事件と言えば、あの革命のことだろうか? ヴィディオ校長と数人の仲間によって無事鎮圧されたと習った。その革命が成功していたら、現在の豊かな生活はなかっただろうと言われている。その重大な事件に、カルムが関わっていたというのだろうか。
『彼はその頃からとても優秀だったが、ここで起こった事件のせいで、高等学校を嫌っていた。中等学校を卒業した後、しばらく外国を放浪していたようだが……今年の入学試験の直前に、何か心境の変化があったようだな。受けたいと言ってきたんだ。そして見事合格した。
どんな心境の変化があったかは分からない。どんな理由にせよ、わたしにとっては嬉しいことだ。……しかし、彼は今とても不安定な状態だ』
グスタフはうなずいた。ライティグとカルムの話を思い出していた。一言二言聞こえただけだが、なにやら深刻そうな話だった。あれも、十年前の事件に関わることなのだろう。
『これはわたしの思い過ごしかもしれない。しかし彼は昔から敵の多い少年だったし、カルムが高等学校に戻ってきたことを、快く思わないものは多いだろう。リーリエンクローン家の御曹司という立場は微妙なんだよ。もしもカルムがここで弱みを見せたら、それを父上や叔父上たちの失脚に利用しようとするものは多い。カルムもそれは自覚していたはずだ』
リーリエンクローン家の御曹司。グスタフは驚いた。そういえば、カルムはそういう家柄の出身だったのだ。知っていたはずなのに、今までぜんぜん気にしていなかった。脳裏に浮かびすらしなかった。何故だろう?
『そして彼は利用されることを何より厭う。……それなのに彼はここへ戻ってきた。よっぽどのことがあったんだろう。だからこそ、わたしはそれを応援してやりたい。くだらない権力闘争なんかのために、彼が足を引っ張られたりするのは耐えられない。
そこで、君に頼みたい。カルムに何か変わったことがあったら、済まないが、わたしに知らせてもらえないだろうか。十年前はわたしは校長ではなかった……そのせいで、出来なかったことがたくさんある。しかし、今は違う。わたしの手はあの頃よりも格段に大きくなった。できる限りのことはしてやれる』
校長は最後のほうは照れくさそうに言った。
グスタフは、目を細めた。校長の言葉に違和感を感じるのはこれで二度目だ。いったい何の意図があって、校長はこんなことを言うのだろう。何だというのだろう──カルムのことを、まだほんの小さな子供だとでも思っているのだろうか。
その違和感は校長の部屋を出て、カルムを揺り起こし、病院に向かった後もずっと付きまとっていた。校長が何を意図してあんなことを言ったのか、グスタフにはわからなかった。あれはつまり、カルムの行動や周りの状況を逐一報告しろと言うことか? カルムの周りで起こったことを把握しておきたいと言うことなのか?
グスタフの価値観から言えば、校長の言葉はカルムへの侮辱以外のなにものでもなかった。心配なのはわかる。グスタフだってカルムを心配している。けれど校長のは少し度が過ぎている。カルムはちゃんと自分の足で立つことができる大人なのに。
ミンスター地区の感覚がおかしいのだろうか。首都ではこれが普通なのだろうか? それとも、グスタフが思う以上に、カルムの立場は微妙なのかもしれない──
グスタフはまた耳を済ませた。よしよし、ちゃんと呼吸をしている。死んではいない。
校長が何を意図しているにせよ──グスタフは好戦的になっている自分に気づいた。どうしたというのだ? 何をそんなにいらだっているのだ? 校長はカルムを心配していて、それが少し度が過ぎてしまっただけじゃないか。自分に言い聞かせてみるものの、苛立ちはそう簡単にはおさまらなかった。グスタフはため息をついた。とにかく自分は苛立った。それを否定してもしかたがない。これから、その苛立ちに邪魔されないように冷静に校長の言動を見ていればいいだけの話だ。
それにしても、とグスタフは思う。『利用されるのを何より厭う』のはなにもカルムだけじゃない。どういう意図があるにせよ──俺をいいように動かせると思ったら大間違いだ。
グスタフは目を閉じた。心の中で宣言してしまったら、気が軽くなったようだ。今なら少し眠れそうな気がした。これから少しカルムに気をつけようと思ってはいたが、それは校長に言われたからじゃなく、単に俺が心配だからだ。そう結論付けて、グスタフは少しホッとした。
* * *
アーミナの薬はとても良く効いて、あれだけ食べたにも関わらずちっとも胃にもたれていなかった。疲れもけだるさもすっかり取れて、気分爽快である。カルムは、と見ると、少なくとも顔色はすっかり元に戻っていた。顔つきもしっかりしている。さっきのあれは、ただ単にヘスの麻薬が効きすぎただけなのかもしれない。それにしては顔色が悪すぎたけれど。
体技室につくと、部屋の真ん中に人だかりができていた。首都の学生もそれ以外の学生も寄り集まって何やら騒いでいる。珍しいことだ。中心にいるのは……
「ジェムズ?」
カルムが声をあげた。なるほど、輪の中心にいるのはジェムズだった。手に何か、茶色のものが乗っている。
「グスタフ、カルム! お前らいったいどこへ行っていたんだよ?」
ジェムズが気づいて片手を挙げた。周りにいた学生たちが場所を空けてくれたので、二人はジェムズの手にいるものを見ることができた。それは茶色の、小さなかわいらしいリスだった。見覚えがある。薬草学試験のときに見かけた、あの不自然なまでに人懐っこいリスだった。
「……それ、どうしたんだ?」
たずねると、ジェムズは相好を崩した。
「カワイイだろ? さっき食事を取りに外に出たら、いきなり肩に飛び乗ってきたんだ。それからずーっと離れようとしないんだよ。参っちゃうよなァ」
顔はぜんぜん参っていない。リーダスタがうらやましそうな声をあげた。
「どうして俺よりジェムズのほうが好きなのかなあ。こんなごつくて怖い顔した奴より俺のほうがずーっとカワイイのに」
「何言ってんだお前」と誰かが笑った。「顔は関係ないだろ?」
「そうかなあ。ジェムズは何かライオンっぽい顔してるだろ? 取って食われそうな気はしないのかな」
ジェムズはわっはっは、と笑った。「百獣の王か。光栄だね」
「その点俺は何か小動物っぽいでしょ? 仲間なんだからなついてくれたっていいのに」
「同族嫌悪って言うぜ?」
「類は友を呼ぶとも言うだろ」
「いや〜自分と似てる奴って俺は厭だよ」
「そうかな、安心すると思うけど」
みんながワイワイ騒いでいる中、グスタフは細心の注意を払ってリスに手を伸ばした。
「やめとけ、お前はどう見てもリスに好かれる顔じゃないぞ」
「そうそうお前は何か狼って感じだ」
口々に冷やかされたが、グスタフはかまわず手のひらを上にしてリスを誘った。リスはしばらく凍りついたように動かなかったが、やがてわずかに身動きをして右の前足を伸ばした。
おお、と周囲からどよめきが上がる。
──来い、とグスタフは命じた。リスの目を窓口にして内部に呼びかける。ガードはなかなか固かったが、こんなちっぽけなものなら乗っ取るのは難しいことではない。リスは催眠術にでもかかったかのように少しずつ動いて、グスタフの手のひらに両前足を乗せた。
と、
「みんな、揃ってるか!」
バカでかい声がしてグスタフはぎくっとした。ついリスへの干渉を打ち切ってしまう。リスは急に我に帰り、キィッ! と一声鳴いて、慌ててジェムズの首の後ろに隠れてしまった。グスタフは内心、舌打ちをした。千載一遇のチャンスだったのに。今ので、奴──誰だか知らないが──はグスタフを警戒するだろう。リスは二度と近づいてこないに違いない。チャンスが再びめぐってくるとは思えなかった。
「……では、午後の試験を始める」
エフタス教官の声は相変わらずひび割れて野太かった。親しみのカケラもない目で、彼は学生を睨みまわした。
「試験内容はシンプルだ。体格の似ている者同士ペアになって戦闘をする。使うものはこちらで用意した剣と盾、衝撃波を出す魔法道具が一つ、のみだ。手持ちのナイフや魔法道具は使わないこと。闘い方や動き、魔法道具の使用のタイミングや目的などを総合的に採点する。……何か質問は?」
誰も手をあげなかった。エフタス教官はそれが気に入らないという風にフンと鼻を鳴らした。もっとも、質問をしてもしなくても気に入らないのだろうが。
「……では、始める。背の順で組み合わせを決めよう。みんな一列に並べ」
並んでみるとグスタフは一番後ろだった。リーダスタがとても不安そうな顔をして、列の一番前に並んだ。リスを肩に乗せたままのジェムズは真ん中ほどにいる。カルムはグスタフのすぐ前にいて、身長差はほとんどなかった。
「さっきの……」
ざわめきにまぎれて、カルムが囁いてきた。
「さっきの?」
「今のリス……もしかして?」
気づいたらしい。カルムもようやく、勘を取り戻したようだ。返事をしようとしたとき、またしてもエフタス教官に邪魔をされてしまった。彼はパンパンと手を叩いてざわめきを静めた。
「では……ああ、一番後ろのふたり。体格がよく似てるな。お前たちからにしよう。カルムと、グスタフ……だったな? ミンスター地区の」
ミンスター地区、というところを嫌味たっぷりに言われたが、グスタフは気にせずうなずいてやった。グスタフは故郷に誇りを持っているから、こんなやつにとりあってやる必要はない、とわかっていた。
エフタス教官はいまいましそうな顔をしたが何も言わず、持っていたノートに何やら記し、うなずいた。
「よし。では、使用する道具を受け取りに来い。後のものは壁際に寄れ。順番が来るまで待機」
二人は前に進み出た。グスタフは再びカルムの顔を見た。顔色もすっかり元に戻り、具合もよさそうだ。病み上がりだからと手加減などしたらカルムはきっと烈火のごとく怒るだろうし、普段のカルムの身のこなしから考えて、そもそも手加減できる相手ではなさそうだ。先ほどのカルムの顔色は忘れることにした。
剣と盾を受け取り、子細にチェックする。剣は変わった型の古びたものだった。重さはグスタフには少々軽かったが、なかなか使いやすい。しかし驚いたことに、刃をつぶしていなかった。真剣で戦えと言うのだろうか? 切れ味はそれ程鋭くはないが、当たったらただではすまない。しかし手入れはあまりされていないようで、刀身はすっかり乾いていた。それにしても、とグスタフは思った。高等学校という所はめちゃくちゃな所だ。
「そしてこれが魔法道具だ。一つだけ、自分の手に合ったものを選ぶといい」
教官に促されて二人は魔法道具の入った箱を覗き込んだ。大小様々の手袋がたくさん入っている。グスタフはしばらく迷った末、左手にはめることにした。カルムも左手にはめている。準備が出来ると、二人は部屋の中央に向かった。真剣を持っているという緊張と、これから思う存分体を動かして暴れる事ができるのだという期待で、体が熱くなってくる。
「場外はなし。制限時間もなし。どちらかが降参するか気絶するまでだ」
降参だけはどちらも絶対しないだろう。
「……いいか? はじめ!」
ぱん! と手が打ち鳴らされる。グスタフとカルムはにらみ合った。