●● 揃いの月 --- 夕食(1) ●●
──カルム=リーリエンクローンか……
自室を片付けながら、グスタフはぼんやりと考えていた。
リーリエンクローン家と言えば、確か、首都でも一、二を争う有名な家の名前だ。代々、ものすごい秀才を高等学校や大学に輩出しており、政治においてかなりの影響力を持つ、名門だ。
てっきり、エリート意識、首都意識むき出しの厭な奴だと思っていたのに。
数枚の衣服をクローゼットにしまってしまうと、それだけで片付けは終わりだった。寝台に腰掛けて、これから一年間、自分の城となった寮の小部屋を眺める。
高等学校学生寮四階の、小さな一室を割り当てられていた。殺風景な部屋だった。おまけにとても狭い。戸口の正面の壁に大きな窓が一つ、左側の壁に戸棚が一つ、右側の壁に小さなテーブルと椅子が一つずつと小さな洗面台。たったそれだけ。今腰掛けている寝台は、窓の下に設えられている。この寝台だけは、かなり立派なものだった。人一倍大きな自分でも、ゆっくり身体を伸ばせそうなのがとてもありがたい。
殺風景な部屋だったが、グスタフは満足していた。正直、個室をもらえるとは思っていなかった。学費も生活費も全部国から支給されるのだから、あまり待遇が良いと申し訳ないような気がする。
寝台に腰掛けてぼんやりしていると、意識は自然に先程の騒ぎの方に戻って行った。あの三人のことを思い出すと、心の奥底にくすぶる怒りがまだ消えていないことに気付く。袖の下だと! よく言えたものだ。あれ程の侮辱を受けたのは久しぶりだ。この手で叩きのめしてやれなかったことがとても悔しい。
まあ、彼らはあのようなやり方で侮辱を撤回したのだから、よしとするべきだろう。
それに、あのおかげでジェムズやカルムと話ができたのは幸運だった。グスタフは故郷でも、とっつきにくい性格で知られていた。仲良くしようという気持ちはあるのだが、表情と言葉がついて行かない。要するに、寡黙なたちなのだった。おまけに、めったに表情の変わらない彼の顔から、彼の感情を理解してくれるような特殊能力を持っているのは、両親と妹と数人の親友くらいなものだ。
彼は自分の神経が繊細だなんて微塵も考えていなかったが、それでも、高等学校に単身乗りこんでくるのにはかなりの勇気がいった。ミンスター地区だというだけで敬遠されるだろうのに、自分のこの非社交的な性格が加わっては……最悪、四年間一度も他のものと挨拶を交わさない、という事態もあり得るのではないかと思っていたのに。
カルムやジェムズがああして好意を示してくれたのだから、向こうが好意を示し続けている限りは、こちらとしてもできる限りのことをしなければならないだろう。
ミンスター地区を出発する日の朝、長老であるグムヌス爺が言った言葉が耳に蘇って来た。
──できる限り、人から好意を持ってもらえるよう努力しなさい。お前に対する好意は、そのまま、ミンスター地区への好意につながるのだから……
今日の事件で、グスタフに好意を持ってくれた(らしい)のは最低で二人。決定的に悪意を植え付けてしまったのは三人。二対三か、とグスタフは思って苦笑した。ゼロ対十七、という事態もあり得たのだから……ま、悪くない滑り出しと言えるだろう。
寝台に仰向けになってぼんやりしていると、控え目なノックの音が響いた。
「──どうぞ」
立ち上がり、無愛想にならないようにと精一杯の努力をしながら声をかける。開いてるよ、と付け加えた方がいいだろうか、と迷っているうちにドアが慎重に開いた。こちらに向けて開いたドアの陰から、見覚えのある青年が顔を出す。
──確か……首都出身の、ミンツとかいう人間じゃなかったか?
名字もあったはずだが、今まで首都出身の者と深く関ったことがないので、名字を覚える習慣がない。ま、覚えていなくてもさして不都合はないだろう。
「よお」ミンツ(らしき)青年はなんだか照れ臭そうな顔をしていた。「入っても?」
うなずくと、ミンツはまるで人目をはばかるかの様に、するりと部屋の中に滑り込んだ。
ミンツはおもしろい顔をした青年だ、と彼はとても失礼なことを考えた。目が細くて鼻がまるく、口はおちょぼ口。目尻が下がっているので、人懐っこそうな笑みをいつも浮かべているように見える。身長は、平均から見ても、あまり高くはない。体つきは細く、ひょろりとしている。
一言で言えば、とてもアンバランスなイメージを抱かせる外見をしていた。実際この外見には利点もあるたくさんある。この類の外見を持つものに第一印象で悪感情を持つものはまずいないだろうと言うこと──そして、大抵のものは無条件で警戒を捨てるだろうと言うこと。
「突然ごめん。……その……さっきのことでちょっと」
さっきのこと? あの失礼な三人組との騒ぎのことだろうか。ミンツはグスタフの勧めに従って、一つしかない木の椅子に腰を下ろした。
とりあえず何か飲み物でも出すべきだろうかと悩んだが、あいにく、この部屋にはお湯を沸かせるような機能はついていない。洗面台から直接水を酌んで出してはさすがに失礼だろう。悩んでいると、ミンツはそれを察してお構いなくと言った。
仕方ないのでお言葉に甘えてベッドに腰掛ける。ミンツはとても居心地が悪そうだった。今から話そうとする内容がそうさせるのか、それともグスタフと向かい合っているせいだろうか。
「さっき……その、あの三人が言ったことだけど、あまり気にしないでくれよ」
ミンツは意を決したらしくそう言った。「首都出身だからって、あんな風に考える奴ばかりじゃないってことを、言っておきたいと思ってさ」
グスタフはしばし悩んだ。首都出身のものが校長に叱責されたことを彼は知らない。ミンツがいきなり部屋をたずねてまで、他の人間が言ったことを謝罪しにきた理由が分からない。
「あいつらは謝罪したんだ。もう気にしてない」
もちろん本気で謝罪したのじゃないことくらい分かっている。だから、ミンツがわざわざこんなことを言いに来たのだろうか? グスタフはそう結論づけることにした。それにしても理由が弱いような気がするけれど。首都の人間の考えることはよく分からない。
ミンツは安心したように微笑んだ。
「そうか。よかった」
グスタフは笑みを返そうとしたが、うまくいかなかった。彼の顔の筋肉は、微笑むようにはできていないようだ。表情筋が凝り固まっているなどと失礼なことを言ったのは誰だったか。笑みを返せなかったせいで、少々気まずい沈黙が落ちそうになったとき、ミンツが身を乗り出した。
「……それでさ、気をつけた方がいいよ」
何か秘密を打ち明けるかの様に、潜めた声でミンツは言った。グスタフもつられて身を乗り出しながら、妙に納得していた。なるほど、こちらが本題だったか。気をつけた方がいいとは、ポルトたちのことだろうか?
「あのさ……さっき、カルムと会話してたろ」
想像していたのとは全く別の名前が出て来たので、グスタフは一瞬面食らった。──カルム? って……あの、カルム=リーリエンクローン、か?
「あいつには気をつけた方がいいよ。君は知らないだろうけど、あいつにはいろいろ噂がある」
グスタフはカルムのことを思い返した。カルムとジェムズの会話。カルムは首都出身なのに、自分から、右手の甲を差し出していた。悪い印象は、全く、受けなかったのに……
「いろいろな噂」
呟くと、ミンツはさらに身を乗り出した。
「あいつ、今確か十九歳だったと思うけど。中等学校を卒業したのは三年前……もう四年前か。首都ファーレンでも、十五歳で中等学校を卒業した奴はほとんどいない。リーリエンクローン家でも始まって以来の天才だってさ」
グスタフは黙っていた。ミンツが何を言いたいのか、先程よりさらに分からなくなった。分かったのは、『首都ファーレンでも』という部分に若干の優越感が滲んでいたということだ。多分ミンツ自身は気付いていないのだろうが、やっぱりこいつにも隠しきれない首都意識が備わっているということか。
いやいや、今はそんなことを気にしている場合ではない。要するにカルムが早熟の天才だということだろう。それで、何で気をつけた方がいい、につながるのか?
ミンツはグスタフが驚かなかったのが不思議なのか、戸惑った表情を見せた。
「……それなのに、卒業後すぐ家を飛び出して、それ以来ずっと行方が知れなかったんだ」
グスタフはうなずいた。放浪か。いいじゃないか? ミンスター地区では若者は強制的に放浪させられる。グスタフも高等学校に入学する前にと、三ヶ月ほど家を追い出されたばかりだった。放浪はそれが初めてではなかったが、するたびに良い経験ができる。カルムの場合はそれがだいぶ長かっただけの話だ。
ミンツは半ばやけになったように続けた。「奴は中等学校生時代から、問題児だった。冷血漢で、人と関係を持つのを極度に厭がる。人間嫌いで、乱暴で、策略家で……ひどく危険だ」
「危険」
不穏な単語だ。ようやくグスタフが表情の変化を見せたので、勢いづいたミンツは深くうなずいて見せた。
「奴は人を殺してるんだ。それもはずみなんかじゃない。奴は巧妙に罠にハメた人間を殺したんだ。……気をつけた方がいいって言ったのはそういうことさ。奴は人間嫌いだ。それが君に近づいた。俺は奴が自分から人に話しかけた例を他には知らない。……何かありそうだと思うんだ」
グスタフはうなずいて見せた。「わかった。肝に銘じておくよ」
ミンツはホッとしたような表情をした。「……よかった。それだけ言いたくてさ」
部屋を出て行くミンツを見送りながら、グスタフは、ミンツも悪い奴ではないのだなと考えていた。彼の言葉を鵜呑みにする気はないが、ミンツが善意でそのことを言いにきたのは確かだった。言ったことが本当だとは思えない──が、無視していい事柄でもない。カルムには、ミンツに「危険」という評価を下させる何かがあるのだろう。
ただ、どうしても──カルムがミンツの言ったような存在であるとは思えない。
ミンツの言ったことは、全部、今までミンツが聞いて来た噂ばかりだった。それにミンツは気付いているのだろうか? おそらく、ミンツ自身はカルムと直接話をしたことはないだろう。そして、罠にハメて人を殺したというのも噂で聞いたのだろう。真実がどうなのかと自分では確かめもせずに。
ミンツが来たことで、カルムに対して強い興味が──先程よりもさらに、わき上がってくるのを感じていた。
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