ススム | モクジ

● 揃いの月 --- 入学式(1) ●

 式場は混雑していた。カルム=リーリエンクローンは入り口でちょっと足を止めた。気後れしたというわけでは断じてない。ずいぶん昔に忘れていたはずの、学校生活というものの匂いが一度に襲いかかって来たからだ。
 年齢は十九歳、高等学校に入学を認められた者の中では年下の方だろう。短く切ったやわらかい髪は普段は茶色だが、日を浴びると金色に見える。顔立ちはとても整っていて、一見知的で優美な雰囲気を持った青年だが、鳶色の瞳が悪戯っぽい光を湛え、不敵な表情も持っている。
 彼の姿を認めた他の新入生の中で、驚いたような表情を浮かべるものが幾人かいる。カルムは彼らを知らないが、彼らはカルムを良く知っているようだ。驚いたような表情の後に彼らが浮かべるものは分かりきっているので、カルムはそれ以上彼らに視線を投げるのをやめ、ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。
 ガルシア国の高等学校と言えばこの世に一つしかない。毎年十五人から二十人程度の新入生しか認めないという、この国での最高学府の一つである。入学試験も難しいが、合格した直後に行われる実技の試験は更に難しく、その後に続く授業は更に難しいと言われている。何年かに一度は死人がでるとか。出来が良くても悪くても四年間で卒業しなければならず、その四年間を何とか乗り切った者は例外なく国の最高職についている。
 カルムが今から乗り込もうとしているのはそういう場所だった。
 それでも彼は気後れなど断じてしていなかった。気後れは彼の性格には全く合わない。彼が今感じているのは感慨と幻滅、この二つだけだった。感慨の方は、昔兄が通っていた頃よく忍び込んでいたこの高等学校の敷地内に、今度は正式な身分を持って戻って来たのだなあということ……そして、幻滅の方は、高等学校に入学を認められたと言っても、中にいるのは普通の人間とあまり変わらない、厭な感触のする奴らばかりだということだ。いや、高等学校に入学を認められるような奴らには、鼻持ちのならないエリート意識というものが巣食っているだけに更にたちが悪い。
「よお──カルム=リーリエンクローンだな」
 尊大な声が聞こえ、カルムはそちらを振りかえった。カルムよりもだいぶ背の低い、赤ら顔の、厭な顔つき・感触の男がそこに立っている。
「俺はポルト=カイマンだ」
 赤ら顔の男はそう名乗った。カルムはそっけなくうなずいた。カイマン家なら知っている。リーリエンクローン家と同様、首都ファーレンでも有数の資産家だ。ポルトという赤ら顔の息子がいるという話も、聞いたことがあるような気がする。
「中等学校を卒業してから三年間も家出してたのに、今頃戻って来たのか?」
 赤ら顔・ポルトはそう続けた。いや、赤ら顔なのは別に彼のせいではないのだから、そうあだ名を付けるのは可哀想かもしれない。厭な表情、というのはまぎれもなく彼のせいなのだから、あだ名にするならそちらにしたほうがまっとうなやり方だろう。というわけで、とカルムが自分の心の中でポルトのあだ名を書き換えたとき、ポルトがしびれを切らしたように言った。
「三年間も、何してたんだよ?」
 お前の知ったことか──と言いたかったが、カルムは肩をすくめるだけにしておいた。要らぬ災いの種を蒔く事もないだろう。言ったってどうせ信じないだろうし。
 厭な表情・ポルトがふたたび何か言いかけたとき、入り口に誰かが姿を表した。
 ──一瞬、教師かと思った。それだけその姿は貫禄に満ちていた。顔はどちらかと言えば童顔なのだが、その身体から放たれている強烈な威圧感は、今までカルムが出会って来た同じ年頃の人間にはとうてい出せない類のものだ。身体が大きい、というせいもあるのだろう。自分に負けないくらいの長身の持ち主を久しぶりに見たような気がする。……並んでみたら、相手の方が高いかもしれない。
 その青年はその雰囲気にだまされそうだが、恐らくまだ二十にはなっていないだろう。短く切った黒髪は、この国には珍しく本当に真っ黒で、硬そうにつんつん尖っている。瞳も夜の色だった。日をあてたら灰色の光を持つかもしれないが、真っ黒な瞳というものにはあまりお目にかかったことがないからか、余計に威圧感を回りに与える効果があるようだ。顔立ちは精悍、という表現が一番しっくりくる。薄い唇はきりりと引き締められていて、意思の強そうな……非常に強そうな、顔立ち。カルムは心の中でニヤリとした。こいつは同類だ、と直感が告げていた。なんだろう? 血が騒いでいる。こんな感触は久しぶりだ。
「何だ、あいつ──」
 ポルトが呟くのが聞こえた。気に入らない、という表情をしている。自分とは明らかに異質の存在である青年に、苛立ちを覚えているのだろう。カルムがそちらに視線を投げたとき、反対側の扉が開いて、教師たちが続々と姿を見せはじめた。
 いよいよ、入学式が始まるのだ。
 今まで所在無げにうろうろしていた新入生たちが慌てて整列を始める。カルムも祭壇の方を向いて姿勢を正した。晴れがましい、誇らしい気持ちがわき上がってきたのは否定できない。何と言っても高等学校の入学式なのだから──
 
 式は順調に進んだ。はじめに主神マーセラ神の前で、入学における誓約をする。一人一人祭壇の前で誓いの言葉を述べるのだが、祭壇は何も答えてはくれない。当たり前だ。入学式のたびに神がいちいち返事をしていたら、ありがたみも何もあったものじゃない。
 次は学問の神への入学誓願である。これは校長が執り行う。先ほどのマーセラ神への誓約を聞いて、入学に不適切なものがいればはじいてくれるよう、祭壇に向かって頼む。一定時間以上何も起こらなければ入学が認められたという証である。今まで、何かが起こったという話は一度も聞かない。
 儀式がすべて終わると、校長が壇の上に上がって礼をした。
「新入生諸君、入学おめでとう」
 校長は良く通る声で挨拶をした。でっぷりと太って背の低い、温和そうな人物。この外見にだまされる人間はかなり多いが、カルムは十年前に彼の本質に散々触れているので全くだまされない。
 十年前、この校長は単なる教師だった。とても豪快で、物事の本質を見通す力を持ち、とても優しいが冷静な男だ。もし絶対に必要だと判断したならば、実の子供でも切り捨てられるだろうと言われるほどの豪傑。あの革命のせいで当時の校長が死に、その後を継いだ時に、誰一人異存を唱えなかったと言われる。教科書に似顔が乗るほどの有名な英雄は、ヴィディオ閣下と呼ばれ、国王の信任も篤い。高等学校の校長というのは、そういう男だ。
 たしかまだ四十半ばだと思ったが、こうして見ると五十過ぎに見える。ふさふさとした髭のせいか、それとも太っているせいだろうか? 何にしろ、ガルシア国始まって以来の英雄にはとても見えない。
「諸君がここでしっかりと勉強をし、祖国の頼もしい礎となることを期待する」
 簡潔な挨拶だったが、それだけに印象に残る。校長は一八人の新入生を見回して、にっこりした。立派な髭が持ち上がる。
「――ではここで、新入生の名を読み上げる。呼ばれたものは返事をして壇上に上がり、校長から証明票とショールを受け取るように」
 副校長がそう告げ、眼鏡を直しながら手もとのリストに目を落とした。こちらは校長とは正反対のひょろっとした長身で、神経質が服と眼鏡をつけて歩いているように見える。
 副校長が名を読み上げるにつれ、新入生は一人ずつ席を立って行く。校長は壇の上で、新入生一人一人に微笑みかけ、証明証とショールを手渡している。カルムは見通しの良くなってきた席の上で先程の青年の姿を探した。
 ──案外近くに彼はいた。立っているときにはそうでもなかったのに、座っている今は長い足を持て余しているように見える。仲間だな、とカルムは内心ニヤリとした。自分自身、足の置き場に困っている。もう少し椅子の間隔を広めに取ってくれればよかったのに。
「首都ファーレン地区──」
 副校長の声が響いた。出身地区ごとに名前を呼ばれている。首都ファーレンが後の方にされているのは、他の地区の余計な反感を買わないためだろう。あいつはどこの出身なのだろうか。いつ呼ばれてもいいように身構えながらカルムはそう考えていた。首都でないことは確かだ。こんな印象的な男、一度でも見掛けたら覚えているはずだから。
「カルム」
 首都で呼ばれたのは思いがけずカルムが一番初めだった。回りから何とも言えないざわめきが沸き起こる。どういう意味のざわめきなのか、考えなくても分かっている。首都に帰って高等学校に入学すると決めた時点で、このような反応は覚悟していたのだから。
 前にでると、ヴィディオ校長が暖かい笑みで迎えてくれた。……十年前は何も考えずに甘えていたけれど、こうしてみると校長の偉大さにいまさら気付く気がする。堂々とした雰囲気、貫禄、威厳。校長はとても大きな人だ。横幅の話ではなく。
 高等学校に入ると決めたとき、とても喜んでくれていたのを思い出す。恐らく両親以外ではもっとも歓迎してくれた人ではないだろうか。
「良くきたね。──しっかりやれよ」
 ショールと証明票を渡しながら、校長がそう囁いてくる。器用なウインクもついでに一つ。カルムは素直にうなずいて頭を下げた。


 首都ファーレン出身の生徒が全員呼ばれてしまうと、元の席にはもう数人しか残っていない。十年前、ヴィディオが校長になったとき、彼が一番に着手したのは高等学校の入学資格を他の地区にも与えることだった。そのかいあってか、今はガルシア国内のほとんどの地区から高等学校を目指せるようになり、首都ファーレン出身の学生が占める新入生の割合は年々減少している。今年の新入生の半分は他の地区の出身だ。ヴィディオ校長の功績と言えるだろう。
 あの青年はまだ呼ばれていなかった。別に居心地悪げにするでもなく、泰然と椅子に座っている。ドマング地区が呼ばれ、バチスト地区が呼ばれ、フィカ地区が呼ばれた。それでもあの青年はまだ席を立たない。椅子に残っているのは、既に彼一人だ。
「最後に、ミンスター地区──」
 副校長の声が響き、青年はやっと反応した。ミンスター地区、と聞いて、カルムの回りの学生達がざわめいた。先程カルムが呼ばれたときよりも激しい反応。それはそうだ。ミンスター地区の者が高等学校に入学を認められたのはこれが初めてだし、それ以前に──
「グスタフ」
「はい」
 青年はすっと立ち上がった。ミンスター地区、という名に示したみんなの反応を全く頓着していない。カルムは軽い非難を込めて校長の方を見やった。ミンスター地区の者を一番最後にするなんて、何を考えているのだろう。首都ファーレンを後ろの方にするような気遣いを見せるくらいなら、そのあたりをもう少し考えればいいのに。
 グスタフの声は低いが良く通り、動きはしなやかで優美でさえあった。悠々とした動きには、卑屈な所はまったくみられない。ミンスター地区にそれまで漠然と抱いていた(抱かされていた?)悪感情を、カルムは簡単にかなぐり捨てた。野蛮で、未開で、粗野で、乱暴で──という一般のイメージから、なんとかけ離れていることか。
「ようこそ、グスタフ。頑張ってくれよ」
 優しく話しかけた校長に、グスタフは引き締めていた口元をそっと緩めた。恐らく微笑んだつもりなのだろう。もしかしたら、ああ見えて、結構緊張していたのかもしれない。
 壇を降りてこちらに向かってくるグスタフに、カルムの回りの学生達が場所を空けた。敬意を示したというよりは避けたと言った方が良いような動き。カルムは苛立った。いくらなんでも、失礼ではないか?
「さて、儀式はこれで終わりだ。ご苦労様」
 カルムの内心を見透かしたかのように、ヴィディオ校長がことさらに軽い口調で言った。
「今日の行事はこれで終わりだ。割り当てられた部屋を住みやすく整えるのもいいし、構内を見回るのもいいだろう。夕食の鐘が鳴ったら食堂に集合するように。──何か質問は?」
 みんな沈黙している。校長はニヤリとした。
「では、解散。……仲良くするんだぞ」
 それは無理だ。カルムは出口に向かいながら、そんなひねくれたことを考えた。ミンスター地区の者が入ったというのに、中央志向の強い首都出身の者たちがおとなしくしているものか。
 グスタフはのんびり、とも言えるような仕草で出口の方に向かっている。カルムはこの青年に対して、珍しく、強い興味を抱いている自分に気付いた。もう二度と、人に関心を持てなくなったと思っていたのに。
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