魔女の出張

出張後(1)

 第三章 出張後

 ちゃんと〈アスタ〉を締め出してから、イーレンタールが入っていったとき、薄暗い部屋の中で、フェルドはおとなしくしていた。計測機器から伸びたコードを体中につけたままぼんやりと窓の外を見ていた。天変地異でも起こるのではないかと思わせるような光景だった。ライラニーナが同じ目に遭っていたとき、つまり彼女が初めてイーレンタールに出会ったとき、ライラニーナは周囲すべてを威嚇するような表情をしていた。てっきりフェルドもそうだろうと思っていたので拍子抜けだった。
 一日羽を伸ばした代償に、ここ三日ほどは部屋にも戻れていないらしい。
 イーレンタールはため息を付いた。わかっていたことだとはいえ、気の滅入る光景だった。よう、と言うとフェルドはこちらを見もせずに、よう、と言った。もう夜も遅い。窓の外は室内より暗い。ガラスに映ったイーレンタールに視線を合わせて、フェルドがため息を付いた。
「なんか面白いものない? 退屈で死ぬ」
 カルロスはそれを望んでいるに違いない、とイーレンタールは思う。
「ニュースならある。面白くはないと思うけど」
 その口調に何かを感じたのか、フェルドは振り返った。
「……なに?」
「ミランダが帰って来たんだ」
「もう? 明日の夜の予定じゃなかったっけ」
「そう。……ヴィヴィとリファスの駅員五人がガードして来た。出張医療が終わって疲労困憊のところを狩人に襲われたんだと」
 泣きじゃくって、ミランダはまともに話もできないほどだった。事情を話したのは、ヴィレスタと、ひどく険しい表情をした、シグルドという駅員だった。
「今【魔女ビル】内は大騒ぎだ。お前に知らせる人間が、もしかしたらいないんじゃねえかと思ってさ」
「ミランダが……」フェルドは呻いた。「マリアラ、は?」
「ミランダが毒を浴びて倒れて、捕まるとこだったんだ。マリアラが囮になって逃げたんだって、だから、ミランダは無事に帰ってこられたんだよ」
 ――あたしが!
 先程聞いたばかりのミランダの悲鳴が脳裏に鳴り渡った。
 ――あたしが無理に頼んだのに……無理につれていったのに……!
「マリアラはまだ行方がわからねえってさ。リファスの駅員と役人と街兵とが総出で捜してるって」
 フェルドの表情を見ながら、風が湧き起らない、とイーレンタールは考えた。
 ライラニーナなら今ごろこの狭い部屋には暴風が荒れ狂っているだろう。この部屋は薄暗いから、フェルドの感情に従って風が荒れ狂うには光が足りないのだろう。イーレンタールは努めて冷たい声で言った。
「ふうん、お前の二度目の孵化って風じゃないんだ。気をつけろよ、そういうとこからボロが出るんだ」
 ではフェルドの二度目の孵化はいったいなんだったんだろう、とも思ったが、フェルドが全身のコードを引きちぎったので、その質問は飲み込んだ。代わりに、
「待てよ。行ってどうするんだ、単細胞」
「……」
「落ち着けって。俺がわざわざお前に知らせに来たのはさ、コインを借りようと思ったからだ」
 フェルドは壮絶な顔でイーレンタールをにらんだ。
「……コイン?」
「そ。相棒同士のコインが……だからあっ!」
 わきを擦り抜けて駆け出そうとしたフェルドをイーレンタールは必死で押し止どめなければならなかった。腕力には自信がない。フェルドより背の高いイーレンタールのひょろりとした体躯は、成すすべもなく引きずられた。
 相棒同士のコインは対になっている。片方を握り締めてしかるべき魔力を渡せば瞬時にもう片方のいる場所に移動することができるという、エスメラルダの技術の粋を集めて作られた魔法道具だ。けれど、
「落ち着けってえ! 打ち合わせもなしに移動してみろ、その場に障害物があったら出現した瞬間に木っ端みじんだ! マリアラまで死ぬぞ!」
 そう簡単に使えるものではなかった。ふだんコインというものは箒の鎖につけて制服の内側にしまわれているものだし、出張医療に行っているのだから、マリアラは多分ポケットに入れているだろう。出現したとき、コインの上部に衣類などの障害物が存在していると大惨事が起こるので、めったなことでは使えない。儀礼的な意味合いの強いものだ。もし使うなら、綿密な打ち合わせが必要なものなのだ。
 フェルドが足を止め、いまいましそうに腕を振り払った。イーレンタールは思い止どまったらしいことにため息を付く。
「そもそも行ってどうすんだっての……獲物が増えるだけだろ。ただなあ、マリアラの居場所だけでも捜せるんだよ、お前のコインがあれば。波長を辿って場所を特定できる。捕まったとは限らないんだ。どこかで倒れてるなら――」
 フェルドがようやく口を開いた。
「居場所を特定って、どうやって?」
「俺を誰様だと思ってるんだよ」
 言いながら、イーレンタールは考えた。
 これでマリアラのコインが王宮にあったら、いったいどうすればいいのだろうかと。

    *   *

〈彼女〉はゆっくりとまどろみから覚めた。〈アスタ〉が警告してきたからだ。〈アスタ〉と感覚を共有すると、成る程、この部屋に続く廊下を、フェルドが検査服のまますごい勢いで走ってくる。フェルドに知らせたのはイーレンタールのようだった。ひょろりとした体躯も必死で走っているが、フェルドに完全に置き去りにされている。
 事態を悟るにつれ、戦慄を感じた。
 カルロスが実行したのだ。まさか本当にやるなんて。
 けれどマリアラまで巻き添えにするとは、カルロスは夢にも思わなかっただろう。
『エルヴェントラ、フェルドがきます』
〈アスタ〉の声で言うと、眠っていたカルロスが頭を起こした。
「……何だって?」
『すごい勢いで走ってきます。到着まであと十五秒。……十、九、八、七』
 カウントダウンの間にカルロスは起き上がり、ガウンを羽織りながらあくびをした。
「やれやれ、一体何の騒ぎだろうね」
 ――まさか本当にミランダを使い捨てるなんて。
『マリアラが狩人に捕まったかも知れません』
 カルロスが硬直した。「……何?」
『ミランダが出張医療に出る際――』
 ばーん、と扉が開いた。目の吊り上がったすさまじい形相のフェルドが入り口に立っていた。カルロスが口を開く前に、フェルドは言った。
「俺の箒とコインを返してもらいたいんですけど」
 辛うじて敬語だった。カルロスが両手を上げた。
「済まないが意味が分からない。……マリアラが何だって、〈アスタ〉?」
『ミランダが出張医療に出る際、前日に、ぜひマリアラにも同行してほしいと言いましたので許可しました。出張医療自体はつつがなく終わりましたが、本日十六時にリファスの駅で狩人に襲われたそうです』
 カルロスは沈黙した。彼が言いたいことはよく分かっていた。けれどカルロスは何も言わなかった。フェルドの前では言えないだろう。
『ミランダは先程リファスの駅員に付き添われて無事に戻りました』おあいにくさま、と言ってやりたかった。『毒を浴びたそうですが、ごく弱いものだったようで、今は毒の影響は残っていません。疲労とショックのほかは特に外傷もないようです。現在は医局で治療中です。マリアラの行方は不明です。狩人の浮遊機に追われてアナカルディアの方角へ逃げたそうですが』
「アナカルディアへ……」
「コインと箒を返してほしいんですけど」
 フェルドがもう一度言った。風で脅さないあたり、フェルドにも忍耐力というものがあったのだと、〈彼女〉は少し感心した。
「コインと箒を返して、それでどうするんだ」
 カルロスは必死で考えているに違いない。彼にとっては、フェルドがマリアラを捜して飛び出して行くことだけは阻止しなければならない。と、ようやくイーレンタールが駆け込んできた。駆け込むというより、よろめき入るという程度の速度ではあったが。
「……だから……この……ちょっと待てよ……お前はさあ……」
 イーレンタールは息も絶え絶えにそう言い、フェルドがもう一度言った。
「コインと箒を返してほしいんですけどこの野郎」
 カルロスは辛うじて切り返した。
「……一言余計だな」
「こいつのコイン、が、あれば、マリアラの、コインの、場所、だけでも、捜せるん、で」
 イーレンタールが呼吸を整えながらそう言った。〈彼女〉は少し驚いた。そんなことができるのか。
 覚えておかなければ。
「……わかった。〈アスタ〉」
『はい、エルヴェントラ。フェルド、コインと箒は医局のロッカーにしまってあるわ。三十七番。暗証番号は六、八、四、二』
「医局かよ……」
 イーレンタールが呻いた。今出て来たばかりの場所だからだろう、と〈彼女〉は思う。フェルドが無言で身をひるがえし、イーレンタールがよろよろと後を追う。静寂を取り戻した部屋の中で、カルロスが呻いた。
「……〈アスタ〉」
『はい、エルヴェントラ』
「……何を考えてるんだ。マリアラを出張医療に行かせるなんて。それもミランダと一緒に……」
『申し訳ありません。まさかこんなことが起こるなど、夢にも思いませんでしたから』
〈彼女〉は答えた。カルロスは呻いた。自業自得だと、自分でよく分かっているだろう。
 ミランダは〈アスタ〉の言い付けに背いて人魚の『宴』からルクルスを救出した。恐らく間違いないとイェイラが言った。ミランダには相棒もいない。ヴィレスタは再利用できる。アルフィラだから、記憶を消去して外見を変え、他のマヌエルにあてがえばいい。おまけにミランダはフェルドとも仲がいい、魔力の強い水の左巻きだ。つまり左のエルカテルミナ候補のひとり、ということになる。だから『生け贄』には相応しいとカルロスは考えた。ルクルスに心を許した水の左巻きなど、カルロスにとっては邪魔でしかない。……だから。
 だからといって、本当に実行するなんて。
 ――ミランダが無事に帰って来て本当に良かった。
〈彼女〉は泣きたい気持ちで考えた。
 ――でも、マリアラは?
 カルロスはようやく言った。
「わかってるだろうね。フェルディナントをエスメラルダから出すなよ」
『承知しました、エルヴェントラ。最善を尽くします』
「次の足かせを捜さなきゃな……」
 カルロスは呟いた。マリアラのことは既に脳裏から締め出したに違いない。マリアラという少女の価値など、カルロスにとっては、ただそれだけでしかないのだということに、〈彼女〉は深い悲しみを感じた。
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