「仮魔女物語」「仮魔女、一安心」
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4 仮魔女、一安心
Situation: MARIARA
──冷たい。
 どうしちゃったんだろう? なんでこんなに冷たいんだろう? それに……なんで、こんなに暗いんだろう。
──死んじゃったんだろうか。
 それも無理はないな、とマリアラは思った。あの禍禍しい生き物と対峙して、生きていられたらそちらの方が驚きだ。
 でも……この苦しさはなんだろう。死ぬってことは、こんなに苦しいものなんだろうか? 息が思うようにできない──からだ中がしびれていて、凍えてしまいそうに寒い──おまけに、この全身を覆う鈍い痛み。からだの内側をびっしりとうめつくした細かな細かな痛覚を、絶え間なしに、やわらかなスポンジかなにかでそうっとこすられているような。
 これならいっそ、きっぱりはっきり痛い方がどれだけ楽か知れない。
 それほど悪い行いをしたとも思えないのに……死んでからまで、こんな苦痛を味わわなければならないなんて。
 気が、狂いそうだった。大声で叫べたらどんなに楽になるだろう。でも──からだが動かない。
『……もう少しだ』
 誰かの、優しい声が聞こえた。かすかな、だけどとても存在感のある声。どこかで聞いたことのある、男の人の声だ。
──誰の声……だっけ?
 思い出せない。思い出しさえすれば、この苦しさから何とか逃れられそうな気がするのに。
 その声は、思い出そうとあせるマリアラを包みこむように、優しく励まし続けている。
『大丈夫。もうすぐ良くなる。今、みんなが助けてくれるからな』
──あ……ダニエル、だ。
 その名前が脳裏に浮かぶと同時に、マリアラは、自分のからだがゆっくりと浮上しはじめるのを感じた──
*   *   *
 そこはどうやら寝室のようだった。中にいる人に、居心地のよさと不思議な暖かさとを感じさせる、優しい感じの部屋。
「あ、れえ……」
 マリアラはまだ眠気の残る目で、ぎこちなく辺りを見回した。
 窓にかかるカーテン越しに入り込む光の具合で、昼過ぎであることがわかる。不思議なくらい気分が良かった。確かわたしは……死んでしまったんじゃなかったっけ?
 じゃあ、ここは天国だろうか? それにしてはなんだか、いかにも地上っぽい部屋だ。まあ天国なんて行ったことないから、細かいことは分からないけれど。
「そうだ、リン!!」
 叫んで、マリアラは飛び起きた。リンはどうしたんだろう!? 大丈夫だろうか!? 確かリンは……木の下敷きに……
「どうしよう!!」
『マリアラ?』
 マリアラのパニックに水を注すように、優しい声が聞こえた。『起きたのね? 通信機のスイッチを入れてくれる?』
「アスタ!?」
 マリアラは文字どおり飛び上がって、ベッドの脇の壁に備え付けてあったスクリーンに飛び付いた。スイッチを押す時に気づいたが、手はもとの、すべすべの白い肌に戻っていた。
 スクリーンに、アスタの柔らかな微笑みが浮かんだ時、マリアラは懐かしさと安堵で悲鳴を上げた。
「ああアスタ!! わたし帰って来たの!?」
『ちょっと違うわ』
 アスタはなだめるような口調で言った。『ここはね、アナカルシスの、ウル地区にある、【魔女ビル】よ。わたしは世界中の【魔女ビル】にいるのよ、知ってるでしょ?』
 マリアラは肯いた。どの【魔女ビル】にも「アスタ」と呼ばれるコンピュータがあって、彼女達は常時ネットでつながれているので、どの「アスタ」もアスタであると言える──と、情報処理の時間に習ったことがある。
『あなたは三日前に、いきなり、【魔女ビル】わきの湖の上に大木と一緒に飛び出して来たのよ。もう治ったから言えますけどね、マリアラ、あなたは本当にあとちょっとで死ぬところだったのよ? 毒で体が真っ黒で、三人がかりで毒抜きをしたんだから』
「わたし死んだんだと思ってた」
 マリアラはため息をついた。ではあの凍えるような寒さと、からだ中を撫でまわされるような痛みは、ダニエルがよく脅かすように話していた、毒抜きの苦痛というやつだったんだ。あの永遠に続くような苦痛が終わってよかった。マリアラはほっとした。
 そう言えば、あの時ダニエルの声が聞こえたような気がしたけど。ダニエルはここに来ているんだろうか?
 マリアラは急に、冷たい手で心臓をわしづかみにされたような気がした。そう言えば、わたしはダニエルとララのお客を横取りしたんだっけ……ダニエルはきっと、カンカンに怒っているだろう。それに、封印という判断を下されてしまっているし……リンをめちゃくちゃ危険な目に遭わせてしまったし、……封印だけじゃすまないかもしれない。考えただけで身の毛がよだつ。
 心配そうにこちらを見ているアスタに、マリアラはおずおずと尋ねた。
「ここに……ダニエル、来てるの?」
『いいえ、まだね。明日にはつくって話だったけど』
 マリアラはほっとした。では、少なくとも明日までは、まだ魔女でいられるということだ。アスタはそんなマリアラの様子を用心深く見守っている。どこか具合の悪いところはないかと気をつけてくれているのだろう。
『あのねえマリアラ。リンに聞いたけど、あんまり無鉄砲なことしちゃ……』
「リン!?」マリアラはお説教を始めようとしたアスタの言葉を遮って叫んだ。「リンは!? 今どこ!? 無事なの!?」
『無事よ、今あなたが起きたこと知らせたから、食事を運んでいってくれると思うの。ミフも大丈夫。今魔法道具製作員のセイテが治してるわ。あとニ、三日かかるって言ってたけど』
 マリアラがホッと吐息をついたのを見て、アスタはにっこりした。『まあ、元気になってよかったわ。起き抜けにお説教なんて聞きたくないでしょうし。リンよりもね、あなたの方が重傷だったのよ。彼女のほうはもうほとんど治った。まだ包帯は取れないけど』
 その時ノックの音がして、リンの元気な声が聞こえた。
「マリアラ、開けて、両手が塞がってるの」
 マリアラはそちらへ飛んでゆくと、急いでドアを開いた。
 額と右手首と右膝に白い包帯を巻いた、だが元気そうなリンがそこに立っていた。両手には食べ物を満載したお盆を抱えている。マリアラは水差しの中にとろりとした飲み物が入っているのを見て嬉しくなった。喉が渇いているのに初めて気付き、気づいてしまうと、その渇きは堪え難いほどになった。
「話は後!!」
 何か言おうとしたマリアラを遮って、リンは宣言するようにそう言い、にやりとした。
「三日も食べてないんだから、お腹が空いてるでしょ? 実はね、あたしも、お腹ぺこぺこなの!」
*   *   *
 食べ物は二種類あった。リンが食べるものと、マリアラが食べるもの。マリアラはお粥状のものと液体としか食べさせてもらえず、リンをうらめしげに見たが、『ずうっと食べてなかったんだよ、胃が吃驚するよ』と言われてはあきらめるしかなかった。
 二人の食欲が少し衰えた頃、マリアラは、自分が今どういう状況に置かれているのかを訊ねることにした。
「ここはアナカルシスの、【魔女ビル】だよ」
 リンは食後にゼリーを食べながらそう話をはじめた。
「で。どうしてあたしたちが助かったかと言うとね。偶然あたしたちの下で【穴】が開いて、そこに落ちたから助かったんだって。めちゃくちゃ運がいいねって言われたよ、よくあのタイミングで【穴】が開いたものだって」
 マリアラはうなずいた。まったくだ。もしもあそこで【穴】が開かなかったら、一体どうなっていただろう?
「それで、あの化け物はデキメラムって名前なんだって」
「デキメラム?」
「うん。マリアラ、あいつとケンカして生き延びた仮魔女って、マリアラが初めてなんだってさ。すごいねえ?」
 そりゃあ他の仮魔女はこんな無謀なことしなかっただろうからね。マリアラは自嘲的にそう考えた。
「あたしは、アムディ=マヌエルの持ち物だと思ったのよね。ほら、アムディ=マヌエルの【銃】とおんなじだったから。でもそうじゃなくて、やっぱりね、エスティエルティナの僕の一つで……すっごく強いんだって。腕利きのマヌエル二人でやっとやっつけられるくらい。そうだ、あいつね、あたしたちが【穴】に落っこちた後にやってきたマヌエルに退治されたんだって。すごいねえ」
「……うん」
 マリアラは気付かれないように吐息を漏らした。わたしがでしゃばりさえしなければ、リンはこんな大けがしなくてすんだのに。以前もマリアラを苦しめた考えだが、今回のは立ち直れないのではと思ってしまうくらい大きい。今回は本当に運が良かった。もしもあそこで、【穴】が開かなかったら……
「えーっとね。ダニエルとララって言う名前のマヌエルだったよ、知ってる?」
──ダニエル!?
「……ごめんね」
 マリアラはポツリと呟いた。リンは吃驚したらしい。きょとんとしてこちらを見た。
「ごめんね」
 もう一度、血を吐くような思いでマリアラはそう言った。木の下じきになっていた、リンの細い手首が、目に焼きついているような気がする。頬が濡れているような気もするが、よくわからない。
「マリアラ?」心配そうなリンの声が、静まり返った部屋にやけに大きく響いた。「どうしたの?」
「わたし……が……わたしなんかが……」
 横取りしさせしなければ、リンはこんなケガしなくてすんだのに。
 リンは元々、ダニエルたちに助けられるはずだったのに。
 その先がどうしてもいえなくて、マリアラは両手の平に顔を埋めた。
 消えてしまいたかった。こんな出来損ないの魔女なんか、この世に生まれて来なければ良かったのに。
 これ以上失敗することがないように、ダニエルが迎えに来たら、すぐに封印してもらわなくっちゃ。
 悲壮な決意を固めた時、リンがそっと手を伸ばして、マリアラの肩に置いた。マリアラは吃驚して顔をあげた……リンの真剣な顔が覗き込んでいる。こちらの考えていることを見透かすような目つき。
「あーあ、ひどい顔」
 しばらくしてリンは言い、にっこりして、ハンカチを差し出した。
「まだそんなこと言ってんの? ばかだねえ。何でこうなんだろうね、マリアラって……変なことばっか気にするんだから」
 受け取ったハンカチでマリアラが顔を拭くのを見ながら、リンはふたたびにっこりした。
「ほら……いい、よく聞いてよ? あたしはねえ、助けに来てくれたのがマリアラで良かったって、思ってるよ」
 今度はマリアラが目を丸くする番だった。マリアラの吃驚した顔を見て、リンは軽く笑った。
「最初はねえ……ほんと言うと、不安だったの……恐かったの、仮魔女がちゃんとできるわけないって……このままエスティエルティナに殺されちゃうんだ、恐いようって、思ってたの。……でもね?」
 リンは椅子の背もたれに背を預け、腕組みをした。挑むように。
「でも、今は信じてるよ。マリアラ、ちゃんと魔法使えるじゃない? 立派な魔女になれるよ。風がうまく使えないとか言ってたけど、きっと、それはまだ魔力が安定してないからだよ。それに……あたしをここまで、ちゃんと、つれてきてくれたじゃない」
「でも……」
「でもじゃないっ。だいたい封印するなんて言われたら、誰だって同じことするよ。あたしだってしてたよ絶対。それに、普通だったら今頃は【毒の世界】の出口にたどり着けてたはずなのに、いろんなところに飛ばされちゃって、おまけにあんな怪物まで出てきて……あれはアクシデントでしょ、ちょっと運が悪かっただけだもん、マリアラのせいじゃない。でしょ?」
「……そうかなあ」
「そうなの!!」リンは押し切った。「お客様の言うことが聞けないのか!!」
 マリアラは思わず笑い出した。「横暴っ」
「悪かったね」リンは舌をだし、笑った。それから、真面目な顔に戻ると、言った。「……あたしはね、本当に、感謝してるんだよ? あのときマリアラが戻ってきてくれて……あのまま逃げることだってできたのに。すごく嬉しかった。魔女は、人の信頼を裏切らないって、本当だよね。……ありがとう」
 マリアラは何も言わなかった。どう答えていいか、わからなかった。ただ、この言葉を聞いて、ふたたび、封印されたくないと言う感情が戻ってきたのは確かだった。
「だからね、もうそんなこと言わないで。あたし、立派な魔女になったマリアラのこと見たいもん。大丈夫、マリアラちゃんとできてるから。すごく恐いこともあったけど、マリアラがそばに居るとね、何だか大丈夫だって思えてくるの。本当だよ。今は信じてる。誓おうか?」
 リンは左手をあげて空中に誓いのしるしを描いた。そして、マリアラをのぞきこみ、照れたように言った。
「左手の握手をちょうだい。あたしが本気で言ってることが分かってくれたなら」
 まだ正式な魔女でない身がそんなことをしていいのか──マリアラは少し迷ったが、リンの目の暖かさに励まされて、左手を差し出した。
「リン=アリエノールへ、マリアラ=ラクエル・ダ・マヌエルから……左手の握手を」
「ありがとう」
 リンは嬉しそうに、マリアラの左手を握った。
 リンって、なんていい人なんだろう……マリアラは温かな掌の感触が、自分の心の中の冷たい塊を溶かしてくれているような気がした。少しずつ勇気が戻ってきた。ダニエルが来ても、きっと、逃げないでいられるだろう。
 しばらくして、リンは名残惜しそうに手を放した。余韻を楽しむかのように左手を見つめている。それから悪戯っぽく片目を瞑り、言った。
「本物の魔女になった時、またちょうだいね?」
「一番にね」
 マリアラも笑ってうなずき、左手をあげて、空中に誓いのしるしを描いた。
Situation: FELD
 ダニエルたちがくる前に、どうしてももう一度、この大失敗魔法道具を使わなければならない。
 また間違ったものを間違った場所に飛ばしてしまうかも知れなかったが、ためらっている暇はなかった。なにしろ、あの恐ろしい究極破壊活動コンビ(デキメラムをやっつけてしまうような奴らを、こう呼ばずしてなんと呼ぼう?)は、刻々とこちらに向かってきているのだから。
 フェルドは魔法道具製作員から失敬してきた魔法道具のスイッチを入れた。
Situation: MARIARA
 実験段階にあるところをフェルドによってくすねられてきた魔法道具は、こんどは目標のものは間違えなかった……が、肝心の移動場所の方は、完璧に間違えなかった、とはいえなかった。
 自分のからだの下でふたたび【穴】が開いた時、マリアラはぐっすりと眠っていた。

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