「仮魔女物語」「仮魔女、仕事する」
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2 仮魔女、仕事する
  Situation: LIN
 幼い頃に読んだ物語の中に、こういう世界がよく出てきたものだった。
 主人公は様々だった──アナカルシスの王子様だったり、歌姫だったり、踊り子だったり、エスメラルダの学生だったり、凄腕のお医者さんだったり、靴屋の息子だったりした。もちろん、エスメラルダのマヌエルであった時もあった。その時は、何らかの理由で魔法が使えなくなっていて、この世界の困難を箒と二人だけで乗り越えるのだった。
 ただ、その世界に来てしまった時の描写や、世界そのものの描写はいつも似通っていた。
 
『なぜ私はこんな所にいるのだろう、と王子は頭上を見上げて呆然としていました』
『足の下にはちくちくする緑の草原がどこまでもどこまでも広がっていて、少年はこんな広々とした草原を見たのは初めてでした』
『頭上を見上げると、雲はないのに灰色に濁っていて、そこはかとなく無気味さを漂わせていて、ここが人間のくる場所ではないことを痛切に歌姫に教えていました。
 歌姫は身震いをしました。ここにいちゃいけない、と歌姫は思いました。しかし、そう思ったからといって、事態は何ら変わりはしないのでした。』
 
 リン=アリエノールがいる世界は、まさにその、物語に出てきた世界と同じものだった。
 そこは、【毒の世界】と呼ばれる世界で、リンはここへ来たのは初めてだった。荒唐無稽な物語、それが完全なるフィクションではないことは学校で習って知っていたが、いざ自分で体験してみるとどうしてもこれが夢なのではないのかと思ってしまう──あまり物語にのめり込みすぎて、眠った時にその世界を夢に見てしまっているのでは──緑の草原と、雲一つない灰色の空、あまりにも非現実的で存在感がない。
「どうしようかな」
 リンは灰色の空を見上げて呟いた。声を出して耳で確認していないと、自分までこの灰色の空に溶けこんで消えてしまいそうな気がする。
 
『【毒の世界】に落ちた時どうするか。』
 
 これは学校で何度も何度も教えられ、訓練まで受けていたので、良く分かっていた。物語と違って、落ちた人全部が全部恐ろしい体験をするものではないということも。物語のような体験をする人の方が少ないのだということも。物語の主人公は皆自分で脱出しなければならなかったが、現実の世界ではマヌエルが助けにきてくれるのだから。
 今自分に出来ることは、首にかけているネックレスに下がった、小指の先くらいの大きさの魔力の結晶を服の外に出すこと……こうしておけばその波長を頼りにマヌエルがきてくれる。仮に、服の外に出さなくても、ネックレスを忘れてしまっていても、最後にはマヌエルはきてくれるだろうが、こうしておいた方がお互いの負担を減らせる。肉体的にも、魔力的にも、精神的にも。
 次にすることは──何もない。大切なのは動かないこと。【穴】に落ちたと言うことは、自分の周りの空間が少し狂っているという事で、動けばそれだけまた【穴】を開けてしまう確率が増える。
 リンは足を投げ出し、両腕を後ろについて背を伸ばした。ショートパンツから出ているむき出しの足が、草に当たってちくちくする。
 
『【毒の世界】で信じられるのは、マヌエルと光だけである。この世界はその名の通り毒に支配されていて、毒は闇の形を取っている。光だけが毒を退けることができ、マヌエルだけが無事に人を普通の世界につれ戻すことが出来る。ここで言うマヌエルとは光を媒介に魔法をかけるラクエル=マヌエルのことである。他のマヌエル(レイエル、イリエル)はこの世界の毒に対する抗体がないので、万一【毒の世界】に落ちたりすると人間より早く死んでしまう』
 
 リンの頭の中を、以前学校で習った説明がながれ、毒に対しては人間の方がマヌエルより強いのだと知った時のかすかな優越感までついでに思い出して、慌ててその考えを頭から締め出した。今こちらに向かっているであろうラクエルに、この醜い思考を気取られたりしたら、恥ずかしくて生きて行けない。魔女は神聖で、いつでも人間を助けてくれ、生まれてからずっと尊敬してきた存在だ。自分のこんな利己的な感情で汚すわけにはいかない。
 
「光の神様、流れ、満たす者よ」
 
 リンは今の感情を完全に締め出すために、学校で教えられた通り、光を司るアイミネアと言う名の神に祈りを捧げた。
「どうかあたしを無事に、我が家へ帰してください。毒を退け、呪われしエスティエルティナの配下どもの手からあたしを守ってください」
 リンは上を向いて祈っていたが、ふと、何か小さなものが目の隅に飛び込んできて目を見開いた。小さな小さなそれは、はじめは揺れているように見えていたが、しだいに大きくなってきていた──巨大な灰色の生地に落ちた水滴がにじんで広がっていくように。
 それが親指の先くらいになってはじめて、箒に乗った人影だということに気づいた。
 リンは跳ね起き、そのしみに向かって大きく手を振った。もう大丈夫、そう思った。魔女がきっと安全な場所までつれていってくれる……
 そこまで考えたとき、彼女は、その人影に見覚えがあるのに気付いた。
「まさか……マリアラ?」
 呆然と呟く。ほんの一年前まで、同じクラスで一緒に勉強していた友人である。ある日殻が割れ、仮魔女として勉強を始めたと聞いたけど、もう一人前になったんだろうか?
 リンは、急に、強い嫉妬を覚えた。マリアラがマヌエルのタマゴだったと聞いたときに生じた感情と同じもの。机を並べて一緒に勉強していた人間が、自分の手の届かないところへ行ってしまったという苦い敗北感が見る見るうちに胸に溢れて、リンは狼狽した。何とかしてその感情を胸の奥に押し込もうとするがあまり上手くいかない。リンは慌てて自分に言い聞かせた。
(友達が立派な魔女になったのに、素直に喜んであげられないなんて、あたしってなんて厭な奴なんだろう? 最低っ。)
 何とか嫉妬を自己嫌悪にすり替え、リンは表情を取り繕った。直後、マリアラがたどり着き、地面に着地するなりこちらを見もせずに勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 遅くなっちゃって、その、【穴】が五分の内にだいぶ移動しちゃってて、あなたを見つけるのに手間取っちゃって……」
 リンは目を丸くした。マリアラのそのしぐさが、一般学生だった時代によく見たものだったからだ。
(魔女になっても性格まで変わるわけじゃないんだわ)
 リンは何だかうれしくなった。笑い声を立てると、さっきの嫉妬が本当に薄れていくのを感じて、二重にうれしくなる。
「マリアラ、ちっとも変わってないんだね」
「え?」
 マリアラは顔をあげ、目を丸くした。「リ、……リン?」
「久しぶり」
 にっこり。リンは知っている中で一番うれしそうな笑顔を作るのに成功した。
Situation: MARIARA
「まさか、わたしの初めてのお客様がリンだったなんてね」
 並んで歩きながら、マリアラはリンをじっくりと見た。相変わらず背が高く、スラリとしている。短めにした黒い髪、小さな顔、高い鼻、白い肌。ボーイッシュにしているくせに不思議に女らしくって、うらやましいといつも思っていた。ショートパンツとラフなTシャツから出ている手足は細くしなやかである。一年前と変わらない。
 けれど顔立ちはずっと大人びて、一年と言う歳月は彼女にぐっと美しさを加えていた。十六歳でこれなら、大人になった時はどうなってしまうのだろうと、マリアラは何だか少し心配になった。あどけなさと引き換えに得た美しさは、【毒の世界】の灰色の空の下ではすごくはかなげに見えた。
 こんなにはかなげに見えるリンを、自分は本当に守り切れるんだろうか──何だかひどく無鉄砲なことをしてしまった気がする。しかしもう後にはひけないのだからと、マリアラは自分を戒めた。
「【扉】まで後どれくらいあるの?」
 リンの問いに、マリアラは巾着袋から掌サイズのカードを取り出した。地図カードと呼ばれる魔法道具で、カードの表面に映った赤い光点が今二人のいる位置を、緑の光点がこの世界の出口である【扉】の位置を示している。赤と緑の光点はまだだいぶ離れていて、映し出された数値を読むと、今の速度で三日はかかると分かった。
 そう言うと、リンは微かにうんざりした表情を浮かべた。「三日かあ……長いね。ごめんね、マリアラ、こんなことに巻き込んじゃって」
「何言ってんの、こっちはこれが仕事なんだから」
 何気なく言ってから、ちくりと胸が痛んだ。仕事? わたしにそんな事言う権利が本当にあるんだろうか? アスタがリンを助けるように依頼したのはマリアラではなくダニエルとララである。アスタは世界最高の能力をもつコンピュータだ。彼女の決定に間違いはない。出来損ないの仮魔女に依頼するなんて、無謀なことをするはずがない。
 リンはそんなマリアラの気持ちに気づかず、にっこりとして言った。
「マリアラ、すごいねえ。その制服見ると、まだ仮魔女みたいだけど、一人でちゃんとできてるもん。もうすぐ卒業なの?」
 その笑顔には、マヌエルに対する絶大な信頼感が溢れているようにマリアラには思えた。良心がうずく。ずきずきと。追い討ちをかけられてしまった。
(リンはわたしを優秀な仮魔女だと思ってるんだ──ちゃんと、安全なところに連れて帰ることができるって信じて、ぜんぜん疑ってないんだ)
 どうしよう。わたしは優秀どころか、風も満足に操れない出来損ないなのに。
 冷たい塊が肺の上に重く覆い被さってくるように彼女は感じた。本当に大丈夫だろうか? リンの信頼にちゃんと応えることができるんだろうか? 使える魔法は炎魔法だけ……【毒の世界】の夜を乗り切るのに不可欠な、光の召還は炎魔法の一環だからちゃんとできる。薬学は優秀だって言われた。だから風魔法も水魔法も使えなくても、人を助けることくらいできるって思って、飛び出して来たけど、仮魔女の教育課程にちゃんと風と水の魔法が組み込まれていたことから考えると、やっぱり必要なんじゃないかしら?
 リンを呆れさせ、失望させるのが恐くて、よっぽど黙っていようかと思った。でも、それはやっぱりフェアじゃないと思い返した。わたしはもう魔女なんだから……すくなくとも、心構えとしては、魔女なんだから。そんな卑怯なことはしたくない。魔女の名を汚すことだけは、なんとしても避けなくっちゃ。
 そう心に決めて、マリアラは首を振った。「違うの」
「え? じゃあ……」
 リンは考えるときの癖で、眉をよせた。卒業間近でもない仮魔女が、たった一人で仕事をする理由を考えだそうとしている。
 マリアラは一つ息を吸い、意を決して、言った。「わたしね、落ちこぼれなの」
 リンの目が丸くなった。
Situation: LIN
「──え?」
 リンは自分の耳を疑った。マリアラが言った言葉が、あまりにも予想外だったために、一瞬何のことを言っているのかがわからなくなってしまった。「何?」
「だから、わたし、落ちこぼれなの……簡単な風魔法すら、上手く使えないの」
 マリアラは歪んだ笑顔を見せた。「さっきね、わたしの【親】の……ダニエルって言うんだけど……書いてた、わたしの調査書見ちゃってね。『封印するしかない』って評価されちゃったくらいの落ちこぼれなの」
「嘘」
 リンは呟いた。彼女の知っているマリアラは、落ちこぼれと言う単語から一番遠い存在だった。努力もせずにものすごくよくできるというのではないのだが、なんでも一つ一つきちんとこなしていくので、見ていてもこの人は大丈夫だと言う安心感を持てるようなタイプの人間だった。
「嘘じゃないの……ごめんね、リン。わたしねえ、封印されるの厭だったんだ。せっかくここまで来たのに封印されるなんて、考えるのも厭でさ……小さい頃から、魔女になるの憧れだったから……薬学とね、炎魔法は結構できるの、だから、わたしでもちゃんと人を助けられるって証明して見せたら、元老院も許してくれるかと思って」
 マリアラは下をむきながら呟くように言った。リンはマリアラを気の毒だと思った。かわいそうだと思った。どちらかといえば優等生タイプで、おまけに努力家であるだけに、出来損ないと言われるのはひどく辛いことだっただろう。
 けれど、その同情心の裏に、マリアラが完全な優等生ではなかったことを喜んでいる自分がいるような気がして、リンは情けなくなってきた。

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