「仮魔女物語」 「仮魔女、キレる」
前へ 次へ 「魔女の遍歴」TOP 【天上捜索】


1.仮魔女、キレる
Situation: MARIARA
「きゃあああああっ!!」
 
 ぐるり、と視界が回転した。とはいえ巨大な【学校ビル】が宙返りするはずもないので、回転しているのはわたしの方なんだろうな──などと冷静に判断している暇も余裕も彼女にはなかった。未だぐるぐると宙返りを続けていたからである。
 マリアラ=ラクエル・ダ・マヌエルの周りにひしめく風が楽しそうな笑い声をあげた。遊ばれている。マリアラは唇を噛みしめ、必死で風を支配下に置こうと試みた。魔力を与えた相手に遊ばれるなんて、格好悪いったらありゃしない。
(ええい言う事を聞いて静かにしなさい今は遊びの時間じゃないんだから……!!)
 しかし風は彼女の命令になんか従うつもりはないらしく、マリアラの体を天井近くまで吹き上げ、天井すれすれをはずむように動かしたかと思うと……三メートルほど下の床にまっ逆さま……するとまた浮き上がって……ぐるぐる……
「そこで目を回してどうするんだっていうのに」
 彼女の【親】であるダニエルの声が下でしたと思うと、回転が止まった。風はダニエルの言うことなら実に良く聞く。彼女は定まらない視界の中でなんとかダニエルの姿を見つけようとしながら、ひいきだわ、と呟いた。
「完全に遊ばれてるなあ」
 ダニエルは呆れ声でそう言うと、彼女の身体をゆっくりと下に下ろしてくれた。ありがたいことにちゃんと足を下にして、ゆらゆらとダニエルの頭上辺りを漂うことになったが、ダニエルはそれ以上は手を貸してくれるつもりはないらしく、彼女はそれより下に降りることがどうしてもできない。風に頼んで魔力を貸すとまた遊ばれるのがオチだろうし……
 なんでうまくいかないんだろう。マリアラは泣きたくなってきた。
 ダニエルは面白そうにマリアラを見ている。この人絶対楽しんでる。彼女はそう考え、助けてなんて言うもんか、と心に誓った。
 ダニエルは身体が大きい。マリアラは十六歳の少女に相応しい体形をしているが、ダニエルは彼女より頭二つ分以上高い。横幅も、決して太っているわけではないのだが、マリアラ二人分よりも更に大きい。マリアラは【孵化】してから一年毎日顔を突き合わせているが、慣れるまではしばらく恐い思いをしたものだ。エスメラルダの人間にしては珍しく金髪碧眼ということも手伝って、ただでさえ目立つ巨躯が更に目立つ。フルネームはダニエル=ラクエル・マヌエルといい、ここまできちんと韻を踏んでいるのは非常に珍しいが別に彼のせいではない。現在三十歳になるかならぬかというところで、性格は優しい頼れるお兄さん……だと思っていたのだが、とんでもない間違いだったと言うことにこの頃気づいたところだ。
「まあとにかく、だ」ダニエルは手に持っていた黒い表紙のファイルに何事か書き込みながら、ため息混じりに言った。「風に嫌われているわけじゃないんだよな」
「うー……ん」
「けどな、自分で魔力を与えた相手に遊ばれるなんて聞いたことないぞ」
「だって全然言うこと聞いてくれないんだもん」
 なんとかして降りようともがきながら彼女はふくれっつらをした。ダニエルはどうしてあんなにあっさりと言う事を聞かせることが出来るのか、さっぱりわからない。風は気ままで、いたずらで、わがままで、わんぱくで、いじわるだ。わたし、威厳が足りないのかしら……マリアラは大きくため息をついた。
「言う事を聞いてくれないんじゃなくて、聞かせてないだけだ。ならぬは人のなさぬなりけりってな」
 ファイルをぱたんと閉じ、そばにあったテーブルの上に無造作に放り出すと、ダニエルは軽い口調で言った。「今日はここまで。降りられたら昼飯にしていいぞ」
「……いじわるぅ」
「いじわる? 愛のムチって言って欲しいね。正午から【毒の世界】の受け持ち時間に入るから、それまでにはなんとかしろよ?」
 にやりと笑って仮魔女教室から出て行く。マリアラはその後ろ姿にむかって、思いっきり舌を出した。
*   *   *
 ここは【学問の国】エスメラルダの中心にそびえる【学校ビル】の中の一室で、仮魔女教室と呼ばれている部屋だ。その名の通り仮魔女を教育するための部屋で、今のところ魔法学を学んでいる仮魔女はマリアラ一人らしく他には誰もいない。一般学生だったころ良くのぞきにきていたものだが(たいていはすぐ見つかって追い出されたが)、まさか自分がここで風に遊ばれることになろうとは一年前まで考えもしなかった。
「……人生って不思議」
 降りるのを諦めて呟くと、胸元にぶら下がった小さな箒が囁いた。
『もうダニエルいない? どっかその辺で気配を殺してたりとか、しないよね?』
 ダニエルならやりかねない! とマリアラは思ったが、既に疲れきっていたのでうなずいた。
「うん、大丈夫だと思う。それにさ、自力で降りろって言わなかったし」
 すると箒はマリアラの首にかけたネックレスから自分で外れ、彼女の目の前で、元の大きさに戻った。マリアラの身長より少々長い位の長さの箒。名前をミフと言う。
『つかまって』
 マリアラは感謝しながらミフの柄をつかんだ。ゆっくりとミフが下に降りる。マリアラは足が固い地面についたとたん、動かない地面ってなんて素晴らしいんだろうと思った。
「ありがと」
『どういたしまして』
 ミフは軽い調子で言ったが、マリアラが落ち込んでいるのに気づいたらしく、必死で明るい声を出した。どうにかして元気付けようと彼女の周りでぴょんぴょんと飛び跳ねる。
『元気出しなよ、マリアラ。風なんか操れなくたって平気だよ、ほら、薬学はすっごくよくできるんだし、薬学専門の魔女になればいいじゃん、他のことはパートナーに任せてさ。空を飛ぶのはあたしに任せて。ね? ほら、あたしたちアクロバット飛行とかできるんだし、こんなことできる魔女って他にはいないぞぉ』
 マリアラはこないだ二人であみ出した宙返り飛行などを思い返してにやりと笑った。ミフがすぐさま嬉しそうな声を出す。
『そうそう、気にすることないよ。魔女の仕事は人を助けることでしょ? 薬学ができればばっちりだよ。さ、おべんと食べよう? 今日のお弁当はサンドイッチだよ、腹が減っては戦はできぬってね』
「うん」
 マリアラはなんとか笑顔を見せ、さきほどダニエルがファイルを放り出した机の方へ行った。その後ろの壁に作り付けのロッカーをあけ、中から小さな包みを取り出す。それと一緒に薄っぺらな紙がひらりとすべり出て来て、マリアラの足にこつんと当たった。
 マリアラは眉をひそめてそれを見た。硬そうな黒髪を短く切った青年の顔が描かれている。仮魔女になったその日にダニエルが持って来て、この顔をようく覚えておけと言って彼女に渡した一枚の紙、もう一年近くもじっくりと眺めたのでへろへろになってしまっている。
 誰が描いたのかは知らないが、なかなかに腕の良い絵師が描いたものらしく、こちらをまっすぐに見つめているその青年は今にも何かしゃべり出しそうに見える。おそらくまだ二十歳にはなっていないだろう。よく陽に焼けていて瞳も髪と同じく真っ黒、意思の強そうな顔立ち……口をちょっと開けているからか、なんだか悪戯小僧のようだ。顔立ちは整っているのであと五年もすれば美男子と呼ばれるようになるだろう。
 ただ、単にダニエルはマリアラの目の保養のためにこの絵を渡したわけではなかった。
 問題はその絵の下に書いてある文字。そこには、綺麗な飾り文字で、『フェルド・アムディ=マヌエル』と書いてあった。
「アムディ=マヌエル(魔女狩人)……」
 マリアラは嫌悪を込めてその言葉を呟き、紙を拾い上げて四つにたたむとポケットにつっこんだ。くしゃ、と紙が不満そうな声をあげるが無視する。本当は八つ裂きにしてごみ箱に叩き込んでやりたいところだ。唯一まともに使える炎の魔法で跡形もなく燃やしてしまうのもいいかもしれない。ダニエルが恐いからやらないけど。アムディ=マヌエルだなんて! ああ、苛々する。
 アムディ=マヌエルのアムディとは、かの世界で一般に使われている言語の、『反』とか『排斥』とかいう意味の言葉が訛ったもので、要するに『反マヌエル』という意味である。魔女を捕らえて魔力を奪い、なにやら恐ろしい目的のために使おうとしているのだとか。風とか水とか炎とかを味方に付けている魔女たちにもいくつか弱点というものがあって、その筆頭がアムディ=マヌエルの持っている黄金色の【銃】である。これを見ると魔女は恐怖で体がすくんでしまいどうしようもなくなってしまうのだそうだ。それに、この銃で撃たれるとそこから毒が入り込み、一夜の内に身体中が真っ黒になって二度と目覚めなくなってしまうのだっ(なんて恐ろしいっ)。
 とはいえやはり魔女はとっても強いので、アムディたちもそうそうは手を出せない。だから魔力はあるが経験のない仮魔女は一番狙われやすいのだそうだ……そしてアムディ=マヌエルの中でも一番力も魔力もあって恐ろしいのが、このフェルドという男なのだそうで、この男と一度でも言葉をかわしたら最後(とダニエルは強調して話していた)、マリアラの魔力はそいつに吸い取られ、二度と! 永久に! 永遠に! 魔女になれなくなってしまうのだ!!
『マリアラ? どうしたの』ミフの心配そうな声。
「……なんでもない」
 マリアラは乱暴に木の椅子に座ると、サンドイッチの包みを開いた。フェルドという男がいつやってくるかわからない、だから毎日こうして一生懸命勉強しているのに、風すらうまく操れないのではあっさり捕まって簡単に魔力を奪われて殺されてしまうかもしれない。そう考えると何だか食べる気がしなくなってしまった。仮魔女第四期、魔法学に入ってもう四ヶ月程経つ、なのにうまくいったのは炎を操ることだけ。風はちっともいうことを聞いてくれないし……ダニエルの教えてくれる通りにやっているはずなのに。
「ダニエルって風を操るのがずば抜けてうまいんだって」
 たまごサンドを手に取りながらマリアラは呟いた。ミフは何も言わない。マリアラも別に返事を期待してはいなかったので気にせず続けた。
「わたしはダニエルの【娘】なんだから、本当は風を操るのがうまいはずなのよね。なのに……なんでなんだろう。何がいけないのかわかれば、治す努力くらいはできるのにね」
『別に、【娘】だからって性質がおんなじだとは限らないんじゃないの?』
「ううん……同じでなきゃいけないんだって」
 言って、マリアラはサンドイッチに噛みついた。まるでそれが諸悪の根源ででもあるかのように勢いよく噛み下す。
 【親】というのは魔女のタマゴが【孵化】するのに必要な魔力を与えたマヌエルのことで、仮魔女の教育などをする。また仮魔女の時に会うことを許されているのは【親】とそのパートナーだけというきまりがあるらしい。現に、マリアラは仮魔女になってからダニエルと、彼のパートナーであるララ=ラクエル・マヌエル以外のマヌエルに会ったことがない。理由は良くわからないが、まあマヌエルに限らず半人前の存在には色々と制約がついてまわるものだ。
「あんまりうまくいかないようだと、元老院が魔女になるのを許してくれないから、……封印されちゃうかもしれないんだって」
『封印ん!?』ミフは仰天した。『誰が言ったのそんなこと!?』
「ダニエルが。……昨日言ったの。ミフがララと出かけてるときにね。アムディ=マヌエルに捕まるとね、恐くて痛くて苦しいんだって。だから、そうなる前に魔力を封印しちゃった方が安全だって」
『冗っ談じゃないよ! 封印だって!? そしたらあたしたち、もう二度と飛べなくなっちゃうんだよ!!』
「飛べなくなるどころじゃないよ」
 マリアラは身震いした。ミフはマリアラが【孵化】したとき彼女の中から飛び出した別の人格を箒の中にうめ込んだ魔法道具である。封印されたら、マリアラはタマゴの状態に戻ってしまうのだから、ミフもまたマリアラの精神の奥深くに戻されてしまうだろう。ミフとおしゃべりができなくなるなんて、考えただけでも恐ろしい。
 ミフがぴょんと飛び上がった。


前へ次へ「魔女の遍歴」TOP【天上捜索】