魔女の変貌
乱入と調べ物(1)
第三章 乱入と調べ物
フェルドはまだ起きない。
結果的にだが、シフトはまた大幅に狂った。リスナはきっと頭から湯気を立てて怒っているに違いないとマリアラは思う。リスナに謝罪に行く勇気はもてなかったが、マリアラは雪山から帰ると、またしても迷惑をかける羽目になったラクエルひと組ひと組に謝罪に行った。みんな苦笑して、どうしてマリアラが謝るのかと言ってくれた。不可抗力だ。孵化は誰にもコントロールできないものだ。こんなことが起こるなんて夢にも思っていなかったのだし、マリアラにもフェルドにも、どうしようもないことなのだから、謝る必要なんか全然ないのだと言ってくれた。
それでも気持ちは晴れなかった。一体どうして、という疑問が、頭にこびりついて離れない。
一日目、雪山で迎えた朝。〈アスタ〉との通信を終えて気づいたら、ウィナロフはどこにもいなかった。ゲンという山男が〈アスタ〉に進言したので、その日のうちに包囲網が敷かれることになったが、捕らえられたという知らせはまだない。朝食を終えたころ、子どもたちを迎えに、山男の一団と、幼年組の世話係と教官と、イリエルのペアが、山を登ってきてくれた。ゲンは狩人が心配だからと残ってくれたが、リンとはそこで別れた。またお茶でも飲もうねと約束をして、リンは子どもたちと一緒に山を下りた。マリアラはゲンに手伝ってもらい、ハウスの片づけをした。ゲンはルクルスだから、あまり大っぴらにはマヌエルと関われないのだと言い、ゲンの力を借りずにフェルドを運ぶのはどうしても無理だったから、マリアラもそのまま、魔女のシフトがあくのを待たなければならなかった。ようやく帰れたのは夕方も近くなっていて、フェルドは意識を戻さないまま、どこかへ運ばれていってしまった。マリアラの処置が正しかったのかどうか、検査するに違いないと思った。
二日目、相棒の起きないマリアラには、シフトに入ることは許されなかった。ラクエルたちに謝罪をしたのはこの日だ。やることがあるのはありがたかった。
三日目、フェルドの孵化には異常がなかったという知らせが来た。経過は順調だし、なんの瑕瑾も見られないと言われた。その情報と引き替えに、マリアラは、フェルドの孵化は本当に風だったのかと何度も問われた。孵化に際してどういう処置をしたのかも逐一克明に聞かれた。同じことを何度も話すのは億劫だったが、やることがあるのはありがたかった。
四日目、マリアラも検査をされた。この辺りで、ララがついてくれた嘘にはうすうす気づいた。前代未聞。前代未聞。二度目の孵化だなんて、やはり今まで迎えた者は存在していないらしい。いろいろ調べなければならないと言われた。あなたは〈アスタ〉が、フェルドの相棒にふさわしいとして指名したマヌエルなのだから、次に孵化を迎える可能性が一番高いのはあなたのはずだと、言われれば、検査に応じる気にもなった。モルモットのように扱われるのは本意ではないだろうと言ったグレゴリーの言葉がぐるぐる回った。嘘をついても無意味だった、と思った。細かく検査されるのは不快だったが、でも、やることがあるのはありがたかった。
五日目。そして今日だ。
マリアラには、もうすることがなかった。
フェルドの様子を見に行きたいと、毎日言い続けていたのに、〈アスタ〉は許可をくれなかった。ただ眠っているだけだから、行ってもしょうがないと言うのが主な理由だ。〈アスタ〉がどんな複雑な思考回路を備えているにせよ、魔法道具に過ぎないのだと思い知るのはこういうときだ。眠ったまま起きなくても、息をしていて、ちゃんと生きてると、自分の目で確かめることの重要さを、〈アスタ〉はきっと永遠に理解しないのだろうと思う。
ラセミスタは毎日工房に出勤する。忙しいようだ。
ミランダは毎日医局に詰めている。冬が近づいて風邪を引く人が増え、やはり忙しいらしい。ララもダニエルも忙しいし、新たな話し相手を探す気にもなれず、マリアラはその日、ほとんどを自室で過ごした。外に出て人に声をかけられるのが億劫だった。ミフとのおしゃべりでさえ気分を浮上させてはくれなかった(ミフも落ち込んでいるので当然だ)。前代未聞。前代未聞。相棒が二度目の孵化を迎えたというのに、マリアラの身体には何の異変もないという事実を、ありとあらゆる人の口から思い知らされるような気がして。
食事も全部部屋で取った。甘いものも欲しくなかった。フェルドはまだ起きない、と、何度も何度も考えた。起きたらきっと状況が変わる、そのことだけを頼りに、その日をやり過ごした。
ようやく日が暮れて、夕食を頼んだ。眺めていた本を投げ出して、寝台に横たわって、マリアラはため息をつく。タイトルも表紙も、目の前からなくなるとすぐに思い出せなくなった。読んだ部分もちっとも頭に残らなかった。
と。
『マリアラ』
〈アスタ〉の声がした。顔を上げると、スクリーンの向こうに、アスタの笑顔が見えた。なぜだか苦笑に見える。
『ちょっと前に、フェルドが起きたの。言うのが遅くなって、ごめんなさいね。それで――気をつけて』
「気を?」
聞き返したときには、乱暴に扉が鳴って、ばん、とばかりに開けられていた。その向こうに、すさまじい形相のフェルドが立っていた。真っ白な検査服を着ていた。呆気に取られて見つめる内に、フェルドはつかつかつか、とマリアラに歩み寄って、目の前で立ち止まって、
しゃがみ込んだ。
「腹減った……!」
『それはそうでしょうけどね……』
〈アスタ〉が苦笑している。マリアラは呆気に取られていたが、まだ手つかずだった夕食に、フェルドが鬼気迫る視線を投げたのを見て、思わず言った。
「た、食べる?」
返事もなかった。フェルドは盆を取り上げるとラセミスタの寝台に座り込んでものすごい勢いで口に詰め込んだ。フェルドを追いかけてきていたらしい、白衣を着た男の人が、開けっ放しの入り口からおずおずと覗いた。
「邪魔するよ。――フェルド」
「あふぉいしえうあふぁい!」
口いっぱいに頬張って、不明瞭な声でフェルドが言う。マリアラも白衣の人も、しばらく考えた。そしてふたりは、同時に言った。
「後にしてください、かな?」
「肉ー!」
咀嚼して飲み込んだフェルドが叫んだ。盆の上は半分近くが空になっている。一口であんなに入ったのか。驚くうちに、まだ鬼気迫る勢いで、フェルドは続けた。
「なんでこれっぽっちなんだよ、菜食主義かマリアラ!? 肉! 肉頼んで肉!」
「あ……あ、うん」
「いやフェルド、いきなり詰め込むのは良くないって――」
「やってられっかー!」
フェルドが怒鳴る。白衣の人の背後からは、たぶん同じ役目なのだろう、やはり白衣の人たちが数人集まりかけているのが見える。フェルドはその人たちに向けて心底腹立たしいと言いたげな風情で目をつり上げて怒鳴る。
「腹減ってんだよ俺は! 何度も言ったろうが! あんなジュースだかスープだかわっかんねえような飲み物で腹が膨れるか! マリアラ、肉は!?」
「あ、あ、はい、はい」
「だがフェルド、データが――」
「データなんか俺の知ったことかー!」
怒鳴るや、ばーん、と扉を閉めてしまった。マリアラは部屋の作りつけのパネルで食堂を呼び出して、メニューを見て、フェルドを振り返った。
「……ハンバーグ?」
「ステーキ!」
食べながらフェルドが叫ぶ。ステーキの一番大きい種類を選択して注文すると、それを確認したのだろう、フェルドの眉間がやや和らいだ。本当に空腹だったのだろう。けれど医局? を逃亡して駆け込む先が、なぜ自分の部屋ではなくここだったのだろう。考えながらもマリアラは、検査服を着たフェルドの顔色がすっかりいいのに気づいて嬉しくなった。すごく元気そうだし。孵化する前と、全然変わらないし。上手くいったのだ。もうすっかり元気なんだ。そう思うだけで、なんだかすごく、ホッとした。
ステーキが来た。パンとサラダとスープもついている。マリアラが盆を差し出すと、〈アスタ〉が言った。
『フェルド。いきなり肉の塊だなんて、胃がびっくりするわよ』
「俺の胃袋は鋼鉄でできてんの!」
つっけんどんに言うと、フェルドは、〈アスタ〉のスクリーンに、先程の盆をひっくりかえしてばしん、と叩きつけた。アスタの笑顔が隠れてしまう。フェルドはがんがんと食器の音を立てながら、まず肉を一口大――かなり大きい――に切り分けた。それをひとつずつ口にほうり込んでいくつもりなのだろう、と思った時、マリアラは、フェルドの表情が少し違うのに気づいた。
フェルドは今スクリーンを隠した盆が、ちゃんとカメラも覆っているかどうか確かめた。
それから、立ち上がって、棚の上からメモ帳とペンを捜し出した。肉をもぐもぐ噛みながら、メモ帳に字を書いた。音を立てないように気をつけているのがわかった。
メモ帳がこちらに向けられた。そこにはこうあった。
俺のフ化が風だってウソついたのか。
マリアラは、ギクリとした。嘘。――そう、嘘だ。
どうしてあんな嘘をついたのだろう。まだよくわからない。それを聞かれたら困る、と思いながらうなずくと、フェルドはメモ帳を戻して、さらに何か書いた。
メモ帳がまたこちらを向いた。
助かった。ありがとう。
「――」
「……あー、ちょっとマシになってきた」
フェルドはメモ帳をマリアラによこした。隠せ、というような身振りをして、マリアラが枕の下にそれを隠すと、安心したように食事を再開した。見る見る内にステーキが数を減らしていく。スープとサラダとパンも。〈アスタ〉の苦笑交じりの声が聞こえた。
『そろそろいい? 外でやきもきしてる人がどんどん増えているわよ』
「いやだ」
『……フェルド』
「い、や、だ、っつーの。管だのコードだの体中につけられて目を覚ました俺の身にもなってくれ。寝てる間に勝手なことしやがって、人を何だと思ってるんだ」
『仕方がないじゃないの。いろいろ検査しなきゃ、』
「トイレにいきゃ尿をよこせって言われるし、食い物は全部流動物だし、一日経っても外にださねえって言うし、病気じゃねえっつーんだよ。どこもおかしくないしもうすっかり元気。嫌だ。今夜は絶対嫌だ。自分の部屋で寝る。じゃなきゃマリアラを人質にしてここに立てこもってやる」
『困ったわねえ……』
「昨日から起きてたの……?」
思わず口を挟むと、フェルドはこちらを見た。
「知らなかったのか?」
「フェルドが起きたって知ったの、ついさっきだよ」
「……〈アスタ〉?」
軋るような声でフェルドが言う。〈アスタ〉は苦笑した。
『ごめんなさい。マリアラが様子を見に行きたいって言ってたから、起きたら断る理由がなくなるでしょう』
「なんで断らなきゃいけないのかな!?」
『お見舞いは控えてほしかったのよ、検査が終わるまでね。だって相棒同士だから、どんな影響があるか――』
フェルドはため息をついた。マリアラもだ。
そしてふたりは同時に叫んだ。
「「なんだそりゃー!」」
『あら、もう悪影響が』
「違うだろ!? じゃあなにか、〈アスタ〉、俺が伝染病とかにかかってるみたいに思ってるわけか!?」
「ひどいよ〈アスタ〉! そんなのないよ!」
『そうじゃないわよ。ただマヌエルの波長はまだ謎が多いから、リスクをできるだけ減らしたかっただけ。悪気はないのよ、本当に。二度目の孵化がどんなものなのか、まだわからないんだもの。仮魔女期に他の魔女から隔離するのと同じことよ』
「悪いものじゃないと思ったけどな……」
つぶやくとフェルドがうなずいた。何度も。
「そー! そーそーそー、そーだよな。別に不自然なことじゃないよな。俺もそう思った。起こるべくして起こったっていうか。だから大丈夫」
『そうなんでしょうけどね。これから二度目の孵化を迎える人が増えてくるなら、フェルドに協力してもらっていろいろ調べておいた方が、後で役に立つに決まってるじゃないの』
「……協力? あれが?」
フェルドが顔をしかめる。〈アスタ〉はまた苦笑した。
『協力を要請するわ。そうね、配慮が足りなかったわね。わかりました。今夜は自分の部屋に戻りなさい。明日から、自分の意志で、協力してくれたら本当に助かるわ』
「そんなに助かるんだ? ふーん」
フェルドは冷たく言った。そのとき、扉が開いた。
ラセミスタが帰って来たのだ。
フェルドが口だけで何か言った。遅えよ、と言ったようだ。
「マリアラ、ただいま。おはよう、フェルド。前代未聞だなんて、大変だね」
ラセミスタは軽い口調で言い、フェルドは本気で嫌そうな顔をした。ラセミスタの後ろから覗き込もうとしている白衣の人達を威嚇して、ラセミスタを引きずり込んでまた扉を閉めると、フェルドはマリアラの枕の下からまたメモ帳を引っ張り出して書いた。
ややして書かれた文字を読んだラセミスタは、うなずいた。フェルドは安心したようにメモ帳をまた枕の下に戻した。そこまで済むと、空になったステーキの皿と盆と、さっき食べたマリアラの頼んでいた夕食の皿と、〈アスタ〉のスクリーンを隠していた盆を回収して、返却口に入れた。現れたスクリーンの中で、アスタが言う。
『協力、してくれるの?』
「気が向いたら。人を実験体扱いしなかったら。ちゃんとした食事が毎回出るなら。夜は自分の部屋に帰れるなら。自由時間がちゃんとあるなら。外出したい時にはできるなら。俺の意志を無視して勝手なことしないなら! 考えてやってもいいけど! じゃあお休み! ごちそうさま!」
そう言うとフェルドは部屋を出て行った。マリアラはラセミスタを見た。ラセミスタは寝台のしわを伸ばして、あーお腹すいた、と言いながら注文パネルを覗き込んだ。マリアラを見て、
「マリアラは?」
「あ……あ、うん。食べる」
「今日の特別メニューはアジフライ定食だって」
「じゃあそれ……」
『邪魔してごめんなさいね、ふたりとも。お休みなさい』
〈アスタ〉の声が聞こえた。スクリーンが暗くなる。ラセミスタは注文を終えると、口に指を一本当てて見せた。スクリーンに歩みよって、何か調べると、うなずいて、小さな折り畳みの機械を取り出した。機械に収納されているコードを伸ばして〈アスタ〉のスクリーンの下にある小さな穴に差し込み、機械を開いて、中にある小さなスクリーンを見ながらキーボードで何かぱたぱたぱたぱたっ、と、叩いた。
ややして彼女は言った。
「もう話していいよ。〈アスタ〉に聞かれる心配はないから」
「えっと……気絶、させたの?」
前にフェルドから聞いた話を思い出して言うと、まだぱたぱた叩きながらラセミスタは言った。
「まだみんな起きてる時間にそんなことできないよ。ちょっとこの部屋のカメラとマイクをオフにして、〈アスタ〉がそれに気づかないようにしただけ。けどフェルドの注文はやっかいだな。うーん……やっぱりまだ無理だな……人目が多すぎる」
言って機械をパタンと閉じた。届いた食事を取って、ひざに乗せた。
「まあとにかく、食べよう」
「フェルドに何頼まれたの」
「そうそう、今のうちにそのメモ処分した方がいいよ。筆談だなんて久しぶりだな。マリアラ、火で燃やして? あとで灰をトイレに流せばいいんじゃないかな」
言われるままにマリアラは枕の下からメモ帳を取り出した。フェルドが書いた部分を破り取って、眺めた。
アスタが邪魔。一時間欲しい。できれば毎晩。
「一時間で何するつもりなんだろうね。まあ多分真夜中がいいんだろうね。毎晩部屋に帰れるならって注文つけてたし」
ラセミスタは事もなげにいいながら、アジフライにかみついた。さくっ、とフライが音を立てた。マリアラはメモ帳を燃やして、灰を盆に乗せた。
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