魔女の奮闘

第一章(1)



   医局:控え室

 医局の控え室は、いつも居心地がいい。
 それが今日は、少し浮き足立っているようだった。マリアラはソファに座ってもじもじと身体を動かした。秋も深まってきたから、患者が増えているのだろうか? なんだかざわざわしている。忙しそうなのに、のんきにお茶など飲みに来ていていいのだろうか。
「ね、忙しいんじゃないの……?」
 ミランダの後ろ姿に声をかけると、ミランダは振り返って首をかしげた。
「え、どうして?」
「だってなんだか、みんなざわざわしてるよね」
「そう?」ミランダは耳を澄ませた。「……そうかな? あー、そっか。スーザンがいないって話が出ていたのよ。その関係じゃないのかな」
「スーザン?」
「うん。イェイラの相棒。右巻きのレイエルね。医局のシフトには入っていないから、あたしもそれほど知っている人じゃないんだけど、でもさばさばしていい人よ。今朝、朝食を取らなかったそうなのね。具合でも悪いのかと〈アスタ〉が部屋を覗いてみてももぬけの殻。どうも、昨日の夜からいなかったんじゃないかって噂。あたしもさっき聞かれたから、保護局の人たちが、医局のレイエルたちに話を聞きに来てるみたいね」
「ふうん? どこ行ったんだろうね」
「先輩方が言うには」ミランダは苦笑した。「〈アスタ〉も野暮よね、だって」
 マリアラはとまどった。野暮? どういう意味だろう。
「スーザンて結構美人なの。いろんな人といろんな噂があるの。イェイラも笑っていたわ。今日は休暇なんだから、たぶん誰かと夜中遊んで疲れちゃって、連絡を忘れてるだけなんだろうにって」
 ようやく悟って、マリアラは、うわあ、と呟いた。大人の世界だ。
「良くあるの、そういうこと?」
「それがねえ、マリアラ。どうも大人の世界ってそう言うところらしいのよ」
 ミランダはさらに苦笑して見せた。
「医局なんて大半が女性でしょう。だから会話にも遠慮がないの。初めて医局に入った頃は、一般学生だった頃とのギャップに圧倒されたわ。最近はもう慣れたけど。自分の部屋に帰らないで男の人の部屋に泊まるとか、その逆とか、普通のことみたいなの。取り立てて騒ぐほどのことでもないみたいよ」
「……そうなんだ……」
「医局の人たちはみんな上手くやってる。食事を取りに戻れそうもないときは、友だちに頼んでキャンセルするのが大事なんだって、そうじゃないと〈アスタ〉に無用な心配をかけるからって」
「ふうん……」
「勉強になった?」
 ミランダが笑い、マリアラも笑った。
「うん、いつの日か必要になるかもしれないから、覚えておく」
「あたしも」
 もう一度笑って、ミランダが背を向けた。やかんに水を入れて彼女が両手を添えると、すぐにやかんの口からしゅんしゅんと湯気が噴き出してくる。医局の方はまだざわめいているが、マリアラはもう気にしないことにして、辺りを見回した。
 その部屋には座り心地のいいソファがいくつも置かれ、治療に疲れたレイエルたちがいつでも休息を取れるようになっていた。二十階の魔女の詰め所をもっと小さくしたような場所だ。美味しいお茶や食べ物を、いつでも取り寄せることができるようになっているが、レイエルには、自分でお茶を入れたりお菓子を 作ったりすることに喜びを見いだす人が多いらしく(ミランダもそのひとりだ)、使い勝手の良さそうな給湯設備や調理器具、冷蔵庫にオーブンまで備えてあった。ミランダはいそいそと冷蔵庫を開けて、冷やしてあったお菓子を取り出している。そちらを覗きに行こうかと歩きかけたとき、ふと、壁際に寄せられた医療器具のひとつが目にとまった。
 その装置は、とても小さかった。
 ふと気が付くと、それを手にとっていた。ミランダを見ると、菓子を切り分けている。今なら大丈夫だ。マリアラは唾を飲み込んで、太めの指輪のようなそれを中指にはめた。
 ――魔力が弱いのかもしれない……
 出張医療の時に感じた疑惑は、どうやら心の底にこびりついていたようだ。マリアラは呼吸を整えて、指輪からコードを延ばして計測機器に差した。
 ――ミランダよりはるかに、わたしの魔力は弱いのかもしれない……
 そう、一般学生だったころ、マリアラは自分が孵化するなどと、夢にも思っていなかった。健康診断のたびに示される魔力量の値はB、体調によってはB+だった。孵化するためには少なくともAは必要だといわれていたし、十四歳を過ぎればだいたいみんな、魔女になることを諦める。だから十五歳で孵化がきたと きには、友人も寮母さんも驚いたし、一番自分が驚いた。寝耳に水、という感じだった。普通は、健康診断などで、孵化の可能性をそれとなく示唆されるものだ。
 だから自分が、マヌエルにしては魔力が弱い方なのだろうと、そんなことくらいはわかっていたのだ。
 けれど、ミランダとの力量の差を、あそこまで歴然と示されてしまうと、やはり心穏やかではいられない。……いられなかった、のだろう。自覚はしていなかったが、ミランダの目を盗むように装置のスイッチを入れてしまってから、マリアラはそれを悟った。
 結果が出るのに数秒かかる。
 心臓がドキドキ打っている。
 もしわたしが、他の魔女に比べて魔力が弱いというなら、とマリアラは頭のどこかで考えていた。
『前代未聞』のフェルドと相棒になったのは、いったいどうしてだったんだろう。いくらゲームをしたからと言って、歴然とした力量の差があったなら、〈アスタ〉が許可しないはずではないだろうか。
 ぴっ、と軽い電子音が鳴り、結果が表示された。マリアラは目を見張り、我知らず、喘いだ。
「――いんだけど、やっぱり自分でいれるのがいいんだよねあたし。いれてる時間も楽しみっていうか」
 ミランダが言いながら戻ってきて、マリアラはあわててスイッチを切った。指輪をむしり取って装置に戻し、表情を取り繕おうとするマリアラの背後で、ミランダがマリアラの見ていたものに気づいた。
「魔力量測定器? どしたの、そんなもの見て」
「や、その……」振り返ることはできなかった。まだ。「これ、壊れてたり、しない、よね?」
「え? さあ、入ったばっかりだからなあ、また壊れてたら問題だなあ」
 ミランダが隣に立って、屈託なく手を伸ばした。指輪をはめて、スイッチを入れる。ほどなく機械が表示した値を見て、マリアラは唾を飲み、ミランダは頷いた。
「うん、普通。壊れてないと思うけど」
「普通……なんだ」
 Sなんて。初めて見た。
 ミランダは世間話のように続けた。
「こないだフェルドが壊してね、新しいのが入ったばっかだもん。最新式だよ」
「……壊した?」
「前のは旧式だったから、SSSまでしか計れなかったんだって。フェルドは魔力計るの嫌いなんだよね。一生懸命抑えなきゃ壊しちゃうから。でもこれなら大丈夫」
 ミランダは機械をぽん、と叩いて笑った。
「いくらフェルドが制御を忘れても大丈夫なように、Sが六つ並んでも壊れないように作ったって聞いたから。……さ、お茶をどうぞ、マリアラ。冷めないうちに」
「……ありがとう」
 マリアラは呼吸を整え、表情を取り繕って、示された椅子に腰掛けた。
 魔力が弱い。それは歴然たる事実だったのだ。
 ミランダに打ち明けようか。診てもらった方がいいのではないだろうか。ミランダは水の左巻きだから、もし何らかの原因があるなら、治してくれるのではないだろうか。そう考えながら、それでも言い出すことが出来なかった。どうしても、どうしても、口から出てこようとしない。
 先ほど機械の示した値は、C。
 孵化する前、一般学生だった頃でさえ、見たことのない低い結果だった。


 しばらくお茶を飲み、ミランダの手製だという美味しい冷菓子を食べ、他愛のないおしゃべりをした。
「で、シグルドとはその後どうなったの?」
 訊ねるとミランダは、ぽっ、と頬を染めた。劇的な変化だ。本当に可憐な人だなあ、とマリアラは思う。
「んー。あれっきりだよ、会ったのは。でも……」
 ミランダはお茶を飲んで、お茶に向かって呟いた。
「手紙が来たよ」
「そう」
「あの……彼の休みの日が、偶然にも、あたしと同じ金曜日でね」
 それは偶然だろうかと、マリアラは考えた。
「それで、今週の金曜日に、エスメラルダ国境の駅まで来てくれるんだって」
「おおお。……って……」
 マリアラは首をかしげた。ミランダが首をすくめる。
「明日じゃない!」
「そ、そうなの、明日なの。いやその、最初は来週って言ってたんだけど、おととい手紙が来て、来週が都合が悪くなったから、できれば今週にして欲しいっ て……すぐマリアラに言おうと思ったんだけど、今週はなんだかすれ違いで、ギリギリになっちゃって。急で悪いんだけど、もし良かったら……その……」
 もじもじと、カップの持ち手に添えた細い指を動かすミランダを見て、今日お茶に呼んでくれた意図のひとつがわかった。マリアラは苦笑して、先手を打った。
「そうなんだ。デートだね! 楽しんできてね!」
「……あう」
「楽しみだねえ、何着ていくの? 帰ってきたらいろいろ話して聞かせてね。楽しみに待ってるから。【魔女ビル】で」
「……マリアラぁ」
「行かないよ」マリアラはにっこり笑ってやった。「絶対行かない。シグルドに悪いもの」
「わ、悪くないよ? だってシグルドも、マリアラもぜひ一緒にって……こないだのお礼もしたいからって……」
「お礼? どっちかと言えばわたしの方がすべきだと思うけどなあ……でも行かない。シグルドによろしく伝えてね」
 ミランダが呻いた。
「意地悪ぅ」
「意地悪じゃないでしょ。愛のムチでしょ。獅子はわが子を千尋の谷に突き落とすんだよ」
「獅子でもないしわが子でもないし」
「それにね、どっちにせよ駄目なの。明日の午後から、待機時間に入るんだ」
 言ってから、あ、と思った。
 ――そうか。それでか。
「待機時間? フェルドの検査、一区切りしたの?」
 ミランダが顔を輝かせ、マリアラは頷いた。
「うん、そうみたい。今朝、〈アスタ〉が、明日から少しずつシフトに組み込んでいきましょうねって言ったの。担当時間に入るのはまだずっとずっと先なんだけど、一日数時間だけ、待機時間として制服着て相棒と打ち合わせする時間も必要だろうからって。フェルドったら検査中暇で暇でたまらないからって、なんだかろくでもないことばっかり勉強したり訓練したりしてるんだって。それもあって、早く待機時間くらいは入れようって話になったらしくて」
「あー、それヴィヴィから聞いた」ミランダは楽しそうに言った。「ヴィヴィもね、あたしが医局に詰めてる時間、医局の邪魔にならない場所を捜して捜して、フェルドの隣に行き着いたんだって。フェルドも話し相手ができて喜ぶからって、今じゃフェルドのそばに入り浸って、いろんなことの勉強してるそうなの。なんだかあのふたり、最近すごく仲良しなんだよ。それでね、検査技師の人たちが、フェルドの『勉強』がヴィヴィに悪影響を及ぼすんじゃないかって心配してるって言うの。どんな勉強なの?」
「それがすごいんだよ……」
 できるだけ楽しげに話し続けながら、マリアラは、自己嫌悪がずしりずしりと背中に落ちてくるのを感じていた。
 ああ、どうしてわたしは、こうも浅ましいんだろう。
 自分の魔力が、マヌエルにはあるまじき程に弱いのかも知れないとわかった今、原因を調べることは絶対に必要なことのはずだ。今マリアラがすべきなのは、ミランダに話して、もし治せるなら治療してもらうことだ。治療が無理なら〈アスタ〉に話さなければならない。平均的な一般学生よりも弱い魔力しか持たない魔女など、【毒の世界】に行って満足な働きが出来るはずがないからだ。
 それなのに、さっきは、ミランダに話すことが出来なかった。
 ようやくシフトに戻れるとわかった矢先に、またそれが台無しになってしまうことが、怖かったからなのだ。
 Cだなんて。一体どうして、そんなに下がってしまったのだろう。一般学生にも、マリアラより強い魔力を持つ人間は多いだろう。
 フェルドはSSSまでしか計れない機械を壊してしまうほどに魔力が強いのに。
 どうして。どうして。一体、どうしてなんだろう。
「良かったね、マリアラ。頑張ってね。フェルドの――」
「ミランダ」
 マリアラは、ミランダの暖かな激励の言葉を遮らなければならなかった。真剣な口調に、ミランダが驚いたような顔をする。マリアラは右手を握りしめて、言った。
「……あのね。さっき、あの機械で、わたし――」
『マリアラ』
 急に〈アスタ〉の声が割り込んで、マリアラはびくりとした。顔を上げると、医局の控え室のスクリーンに、アスタの優しい顔が浮かび上がっていた。
『お邪魔してごめんなさいね。でも、そろそろ荷運びに行った方がいいと思うの』
「え? でも、まだ時間、あるよね」
『ええ、予定ではね。でもほら、外を見てちょうだい。天候が悪化してきていて、海も荒れ始めているの。遅くなればなるほど悪くなる一方だと思うのよ、帰れなくなったら困るでしょう』
「……」
 外を見ると、なるほど、木々の梢が揺れ始めていた。空はどんよりと曇って、ひどく寒そうだ。ミランダが同情の表情を見せ、マリアラは、ほっとした。ミランダに打ち明ける時間が、少しでも延びたことに。
「行ってらっしゃい、マリアラ。気をつけてね」
『ごめんなさいね、ミランダ。せっかくだったのに』
「いいのよ、あたしは一日医局に詰めてるから、帰ってきてまだ時間があったら、またおいでよ、マリアラ」
「……うん」
 マリアラは、微笑んで、勇気を振り絞った。
「ミランダ、あの……帰ってきたら、話、聞いてね」
「もちろん」
 ミランダが優しく頷いてくれる。マリアラはまたほっとして、荷運びのために医局を後にした。


   沖島

 海が荒れ始めている。
 リンは沖島の砂浜を走っていた。もう何往復したのか、思い出すことも出来ない。
 ここの出張所の人たちはみんな親切ではあった。あったのだが、訓練で研修生をしごくのは、警備隊員の権利であり楽しみであり、そして義務でもあるわけなので、ここでも嬉々としてしごかれているのには変わりなかった。ここの出張所は親切な人ばかりだから、ガストン指導官もリンの訓練を『若いの』に丸投げし ている。『若いの』はストップウォッチを見ながら、それはもう楽しそうに言うのだった。
「ほらアリエノール、速度が落ちてるぞう♪」
 ――当たり前だろこの唐変木……ッ!
 怒鳴りかけて、でも、貴重な酸素をそんなことに使いたくはなかった。リンは目で訴えた。
 ――あとどれくらいで解放していただけるわけですか上官殿。
「そーだな、あと五往復くらいで?」
 ――死ぬ! 死にます! 死んでやる!
「しょうがないな、じゃあ五往復にまけてやるよ」
 ――楽しいか! 楽しいのか! 楽しそうだなほんっとに楽しそうだな後で覚えてろ……!
「アリエノール!」
 視線と言葉で見事に会話を続けていた『若いの』とリンは、唐突に響いたガストンの声にその対話を打ち切った。リンは走ることも同時に打ち切った。砂の上に倒れ込んで、何とか顔だけそちらに向けた。ガストンは、今まで見たこともないほど険しい顔をしている。
 リンは苦しさを忘れた。あの夜に見た、ベネットのような表情だった。
「済まないが、訓練は打ち切りにしてくれ。アリエノール、私はすぐに大島に戻らなければならなくなった。嵐が来る前になんとしても戻らねば。一緒に来てくれるか?」
「い……きま、す」
 即答したつもりだった。が、酸素不足はいかんともしがたい。ガストンは駆け寄ってくると、腕を伸ばして、リンを担ぎ上げた。リンは仰天した。リンは決して小柄ではない。こう軽々と担ぎ上げられたのなんて、子どもの時以来だ。
「済まないが一刻を争うんだ。荷物も置いて行かざるを得ない」
「……え」
 そんなに?
 と思う間も、ガストンは走っていた。四十過ぎだなんて信じられないほどの俊足だった。出張所の前を素通りして、研究所の前も素通りして、桟橋にたどり着いた。帆付きの小舟の前でリンを下ろしても、ガストンはほとんど息もみだしていない。
「道々説明する。船酔いは平気か?」
「あんまり乗ったことないです……」
 リンが乗り、ガストンが乗る。ガストンは船の扱いにも慣れているようだった。警備隊員たちが駆け寄ってくるのを尻目にロープを解いて、桟橋に蹴りを入れた。帆が開くと、波の高くなり始めた海にするりと滑り出る。
「間に合ってくれ……」
 ガストンが呟く。その険しい表情に、リンは、これから一体何が始まるのだろうと、思った。
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