魔女の奮闘
序章
海上
「よう、ラル」
声をかけられて、ラルフは帽子を持ち上げて外を見た。ゆらゆら揺れる舟の中に寝そべっているラルフを、精悍な顔立ちの若い男がのぞき込んでいる。
「昼寝か。気持ち良さそうだな」
「ふわあ……」
ラルフはあくびをし、体を起こした。うーん、と伸びをして、それから抗議した。
「フの一文字くらい、略さずに呼んでくれって、言ってるだろ。ウィン」
ウィナロフは笑った。珍しく機嫌が良さそうだ。
「乗せてくれ」
言いながら銀貨を二枚、放ってよこした。相変わらず太っ腹だ。ちゃりんと空中で受け止めて、ラルフは帆を留めてあるロープに手をかけた。
「あいよ。毎度。……にしても、顔くらい隠したらどうなんだよ、白昼堂々。ここは天下のエスメラルダ、あんたみたいなのが顔さらして歩いていい場所じゃないんじゃねえの。あんた、一応仮にも狩人なんだろ」
「一応仮にもってなんだよ……」
岸を蹴ると舟はするりと海に滑り出した。変な奴だと、ウィナロフを乗せる度にラルフはいつも思う。二十歳前後の若い男だ。人魚の脅威を知らないわけでもないだろうに、平然とこんな小船に乗り込むし、だいたい狩人のくせに一体どうやって、エスメラルダに入ってくるのかさっぱりわからない。聞いても絶対教え
てくれない。俺が狩人になれば、とラルフは思う。いつか教えてくれるだろうか。あと六年。長い。
この人は狩人だ。そう、一応、仮にも。
「あんた魔女を一人も殺したことないって、噂を聞いたよ。だからさ」
銃を撃たない狩人なんて狩人じゃない。
ウィナロフは、ラルフを見た。帆と舵を操るためにラルフは立っているから、見上げる格好になった。
「そんな噂、信じてんのか。俺は【風の骨】なんだぞ」
「そっか」ラルフはほっとした。「やっぱ噂なんだ。そうだよな、ひとりも殺さないで、役付きなんかになれるわけないよな。……あと六年」
「ん?」
「あと六年すれば、俺、十六になるよ、ウィン」
ウィナロフは、舳先の方へ顔を向けた。その先に広がる広い広い海の方に。
「……だから?」
「六年経ったら、アナカルシスに行けばいいの? ウィン、俺を迎えにきてくれる? 俺、狩人になりたいんだよ」
「やめとけ」
海の方を向いたまま、ウィナロフは、言った。静かだが、鋭い響きがあった。ラルフは訊ねた。
「なんでさ」
「狩人には先がない。単細胞のバカばっかりだ。お前みたいな子どもが憧れるようなものじゃない。もともと自然に反した職業なんだよ、そのうち自滅する。五十年近くもったのが不思議なくらいなんだ。やめとけ」
「なんでさ」
「狩人がいつも人手不足なのって、なんでかわかるか?」
「なんでさ」
「危険だからじゃない。一度だって魔女と深く関わったり、助けられたりしたら、もう銃なんか持てないからだよ」
「なんでさ?」
ラルフは訊ね、ウィナロフは、振り返った。
「やめとけ。悪いことは言わないから」
「なんでさ。……そう言いながら、なんであんた、狩人続けてんのさ」
ウィナロフは黙り、ラルフは訊ねる。
「なんで狩人やってんの。あんたルクルスじゃないんだろ。俺達みたいに、生まれつき隔離されたりしてないんだろ。まだやめないんだろ。俺らルクルスの居住
地を訊ねて来てさ、本とか美味いもんとか、布とか針と糸とかさ、なんだかんだ差し入れてくのって、狩人に勧誘するためじゃないのかよ」
ウィナロフは、また舳先の方を見た。舟は追い風を受けてするすると滑るように海を走る。ラルフは舟を操るのが得意だった。風さえあれば、魔女の箒にだっ
て、きっと負けやしない。負けてたまるものかと、いつも思う。エスメラルダという国の懐に抱かれて、大事に大事に守られている魔女なんかに。
南の大島が、既にうっすらと見え始めている。
ウィナロフはつぶやくように言った。
「……差し入れなんか」
「してるだろ。子どもだと思ってごまかそうったって駄目だぜ。爺たちがみんな、あんたの手助けしてやれって言う。あんたが【風の骨】じゃなくなっても、新
しい【風の骨】が来るだろうから、またその人の手助けしてやれって。あんたが来るころになると、俺とルッツが毎日交替で、さっきの海岸に舟出してるんだぜ、あんたみたいな若造ひとりのためにさ! あの差し入れしてる相手じゃなきゃそこまでしねえだろ。【風の骨】ってなんなの? どういう役職なの?」
「――先生は?」
唐突に話を変えられて、ラルフは歯軋りをしたくなった。いつもこうだ。
「ウィン!」
「先生は? ――もうお話の時間は終わり。仕事の時間だ」
ぴん、と銀貨をもう一枚放られて、つい受け取ってしまって、ラルフはため息をつく。深々と。
銀貨はあまりに魅力的だ。小銭を貯めておかないと、将来この場所を出て行けない。狩人になるにしても、シグルドがやったように、アナカルシスで仕事を見つけるにしても、先立つものはどうしても必要だ。
「先生は、元気だよ……でも」
ウィナロフは、ラルフの話を黙って聞いている。この男はいったい何なのだろうと、ラルフは思う。いつも。
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