【魔女の冒険】 第2章:「箱の中の人々」
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「血まみれの少年」(1)
 今日の空は、どんよりと曇っている。
 重苦しい気持ちで、ラセミスタはハウスの屋根の上に座り込んで、辺りを見回していた。うっそうと深い森の中、景色なんて木の梢以外何も見えない。それなのにこんなところで見張りをしているのは、昨日の晩、ハウスの周囲をうろつきまわる人の足音が聞こえていたからだった。
 朝になって外に出てみたら誰もいなかったので、空耳かとも思ったのだが、周囲の枯葉が踏み荒らされている。
 何者かが、それも数人で、この辺をうろついていたことは間違いない。
 ハウスが見つからなかったのは、周りにかけておいた迷彩シートが役に立ったのだろうか。それとも、暗かったからだろうか。
「昨日、あたしたちに矢を射掛けた人たちかなあ……」
 屋根の上で、辺りに気を配りながら、ラセミスタは重いため息をついた。
 もう、何が起こっているのかさっぱりわからない。
 ここは本当に、過去なのだろうか。
 もし過去だとして、過去のどれくらいの時期なのだろうか。
 それに……一体どうやったら、元の時間に戻れるんだろうか。
 ミフが起きていればなあ、とラセミスタは思った。そしたら、ミフにフェルドを探しに行ってもらえる。マリアラが感じている通り、フェルドが無事でいるとしたら、一体どこにいるんだろう? 帰り道が見つかっても、フェルドが見つからなければ、自分たちだけ帰るわけには行かないし。そもそも、フェルドもこのおかしな世界に来ているかどうかすら、わからないのだ。
 マリアラは、まだ起きない。
 マリアラの巾着袋の中には、衣類が何種類か入っていた。そのうち一番暖かそうなものを拝借して羽織っているのだが、どんよりと曇った今日は、底冷えがするほどに寒い。
 
 がさ。
 
 背後で草を掻き分ける音がして、ラセミスタの小さな体に緊張が走った。
 恐る恐る振り返ると、ハウスの背後の森の中で、何かが茂みを揺らしている。
 彼女は中腰になって、屋根の入り口に手をかけた。マリアラを起こさなくっちゃ、と思った。ハウスは頑丈だから、誰かに襲撃されたとしても、マリアラとミフを起こすくらいの時間は稼いでくれるだろう。
 
 がさ、がさ。
 
 茂みの揺れは、少しずつ、近づいてくる。ラセミスタは、まじまじと目を凝らして、その茂みの揺れ具合を見つめた。即座にハウスの中に飛び込まなかったのは、その揺れが思ったよりも小さかったからだった。大人が数人で歩いてくるには、揺れの位置が低い。そして、小さい。動物、だろうか。屋根の上で、入り口に手をかけたまま、それを見守る。
 
 がさ。
 
 茂みが、割れた。
 初めに見えたのは、血に染まった、小さな手。
 え、と思う間もなく、血まみれの子供が、同じく血まみれの子供を背中に担いで、よろめき出てきた。目を丸くしたラセミスタの顔を、子供が血まみれの顔を上げて、見据える。
「あ」
 子供の口が、開いた。
「……めがみ、さま」
 そして、力尽きたように、……倒れる。
 ラセミスタは、バランスを崩して、ハウスの中に落っこちた。
*   *   *
 マリアラが目を覚ましたとき、目の前に四角く切り取られた明りが見えた。
「……あれ」
 寝起きのぼーっとした声で、呟く。四角い明り。あれは、なんだろう。
 しばらくそのままで、事態を把握しようと試みる。
「確か……」
 体の下には、柔らかなクッションの感触。
 体の上には、柔らかな毛布の感触。
 左手に、堅い棒状のものが触れている。マリアラはそちらに視線を移して、自分が、箒の柄を握り締めて眠っていたことに気づいた。体を起こしてみる。眠る前の記憶が少しずつよみがえってくる。あの時の辛さが嘘のように、今は体が軽い。体中の関節がみしみしと軋むようだった痛さも、今は全く感じられない。
「……ミフ」
 呟いたが、箒は答えてくれなかった。昨日は確かに、自分の意思で動いていたように思うのだけれど……また、魔力の供給が途絶えてしまったのだろうか。マリアラが眠っていたクッションの上に、ちょうどいい大きさの魔力の結晶が落ちていたので、それを拾い上げた。柄の継ぎ目を探って、蓋をぱこん、とあける。
 そこに、魔力の結晶をはめて、蓋を元通りにしめる。
 咳払いを一つ。そしてマリアラは口を開いた。
「マリアラ=ラクエル・マヌエルが命ずる。ミフ=ミルン、起きなさい」
『……はぁ〜いっ♪』
 ぴょこん、とミフが命を取り戻した。相変わらず、あっけないほど簡単に起動が終了する。ミフは穂を下にして、マリアラの目の前でぴょこぴょこと柄を振った。マリアラが元気になって嬉しい、というミフの感情が流れ込んでくる。
『おっはよ、マリア……ラっ!?』
 ミフの挨拶の言葉をさえぎるようにして。
 上から、ラセミスタが落ちてきた。
 
 マリアラが眠っていたクッションの上に、ラセミスタはちょうど落ちてきた。ぼすん、と大きな音がする。ミフが慌てたように小指大になって宙に浮き、マリアラはぎょっとして、そして、立ち上がった。
「だ、大丈夫!?」
 ラセミスタは目をぱちぱちさせて座り込んでいたが、がばっと体を起こした。そして、叫ぶ。
「血、血が!」
「血?」
「外に血まみれの子が血まみれの子を担いであたしのこと女神様って! 何!?」
「へ?」
「外、外! 死んじゃう!」
 さっぱりわからない。マリアラはミフと顔を見合わせた。ラセミスタは慌てているらしく、立ち上がろうとして、クッションが足に絡まった。わ、わ、わ、と声を上げて倒れかかるのをとっさに受け止めると、ラセミスタの体が自分よりもずっと小さいということに初めて気づいた。背が低いとは思っていたが、それ以上に華奢で、軽い。
 マリアラの体に触れた瞬間、ラセミスタが、身を強張らせたのがはっきりとわかる。
「ご、ごめん!」
 ぱっと飛び離れた彼女の様子に、マリアラは少しだけ傷ついた。そして、ラセミスタの顔に、いくつもの擦り傷が出来ていることにも気づく。血がにじんで固まったらしい傷もいくつかあった。どうしたんだろう。自分じゃ、気づかないんだろうか。
 ラセミスタは慌てたように身を翻して、ハウスの外へと駆け出していく。
 一つため息をついて、その後を追いかけた。
 
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