| 【魔女の冒険】 | 序章:「始まりは電気嵐」 | ||
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| それは、お月見の次の日のことだった。 食事を終え、入浴を済ませ、ほかほかになって戻ってきたマリアラは、部屋の入り口で足をとめた。【魔女ビル】の十七階、南向きの、二人部屋。ここに引っ越してきて、早一週間が経っている。 生活は、快適だった。 魔女たちはみんな親切で、すぐに親しくなることができた。 まだ本格的な仕事は始まっていないが、フェルドと一緒なのだし、心配は――あまり――していない。 部屋は二人部屋だけど、結構広いし綺麗だし、不満はなかった。同居人はビックリするほど綺麗な顔をした同い年の女の子。礼儀正しいし、丁寧で親切だし、優しい。仲良くやっていけそうな気は、している。 でも。 部屋の入り口で足をとめたまま、マリアラはしばらく勇気を貯めなければならなかった。勇気、というのが適当でなければ、気合、と言った方がいいかもしれない。新しくマリアラの同居人となった少女はラセミスタという名前。前述のとおり、優しいし、丁寧だし、親切だ。それは間違いない。――でも。気詰まりなのだ。どうしても。 同じ部屋に暮らしていても、会話がすぐに途絶えてしまう。 マリアラから話しかければ、快く相手はしてくれるのだけど、彼女の方から話し掛けてくれることはまず、ない。 慣れてないからだって、わかってるんだけど。 人見知りをする子だって、ララが言っていた。時間をかければ仲良くなれるわって、太鼓判を押してくれた。でも、今、扉の前で気合を貯めなければならないこのときに、『時間をかけた後』のことがなんの役に立つだろう。 「あ、マリアラ」 階段の上がり口から急に声をかけられて、マリアラはびくっとしてしまった。首にかけた金の鎖が、箒のミフごとしゃらんと揺れる。やってきたのはフェルドだった。彼は部屋の入り口に突っ立っているマリアラを見て、怪訝そうな顔をする。 「どうしたんだよ?」 「な、なんでもないよ」 慌てて手を振って、彼のほうに向き直る。ドアを開けるまでの時間が延びるのは歓迎だった。フェルドはちょっと首を傾げたが、深く追求せずに言葉を継いだ。 「ラス、今いる?」 ラス、というのはラセミスタの愛称だ。フェルドとラセミスタは兄妹のように育ってきたと話に聞いている。マリアラは肯いた。 「うん、いると思うよ」 ちょっと待ってね、と、言いながら、マリアラは部屋のノブに手をかけ、 「……痛っ!?」 思わず声を上げて、手をぱっと離してしまった。ドアノブに触れた瞬間、びりっと電流が走ったのである。彼女は目を丸くして、しばらく、そのノブを見つめた。何が起こったのか、一瞬把握できなかった。これは……ほら。あの。あれだ。静電気だ。 ――静電気? 自分で出した答えに、頭をひねる。 ――空気はまだそれほど乾燥する季節ではないし、今はお風呂上りなのに? 「どうしたんだよ?」 「何か今、びりっと……」 言いかけるマリアラの横から手をのばして、フェルドはそのノブに触れた。とたん、ばちっと電流が走り、そして、 ごっ、 何か大きなものが床に叩きつけられたような音がして、 「っきゃーああああああああ!?」 ラセミスタの長く尾を引く悲鳴が響いて、 びきっ、と、目の前の扉に亀裂が走った。 「……なんだ?」 非常事態には慣れているフェルドも、このときばかりは一瞬立ちすくんだ。その間に亀裂はどんどん、めきめきと音を立てながら、少しずつ広がっていく。亀裂の入った隙間から、戸板が少しずつ内側へ吸い込まれていくのを、フェルドは呆然と、見つめていた。徐々に広がっていく亀裂の間から、部屋の中がわずかに見える。それを見つめている間にも、戸板はみしみしと音を立てて、次第に内側へ向かって崩れていく。 「なんだ……これ」 呆然と呟くフェルドが見つめる部屋の中は、なんと電気の渦だった。ばちばちばちっ、と、稲妻にも似た光の線が縦横無尽に駆け回っているのが見える。電気だけじゃない、戸板に亀裂を走らせ、あろうことか内側へ吸い込んで穴を広げて、その穴からフェルドの体まで吸い込みそうな勢いで、風が渦を巻いている。 「……ラスー!」 フェルドは怒鳴った。 「今度は一体何をやらかしたんだ、お前は!」 とりあえずここを開けなければラセミスタが危ない。いや実際既に危ない。ラセミスタの研究が暴走したのだから――とフェルドはこの事態を断定した――周囲に被害が及ばないはずはないのだ。ラセミスタの身は大丈夫だろうかと思ったとき、存外元気なラセミスタの悲鳴が再び、響いた。 「ととととと! 止まらない! 水、水ー!」 「水!?」 水でどうにかなるのだろうか、と思いながら、亀裂の傍に手を当てる。 すると、さしたる力を加えたとも思えないのに、ばきっ、と、戸板が砕けた。向こう側で聞こえていた風の音が急に大きくなって、戸板が文字通り木っ端微塵になりながら部屋の中に吸い込まれていき、急に視界が開け、扉の破片同様部屋の中に吸い込まれそうになって、慌てて部屋の壁にしがみつく。 開いた――というかぶっ壊れた扉の向こうは荒れ狂っていた。マリアラは少しだけ離れた場所にいたのに、部屋の中に吸い込まれそうになってたたらを踏んだ。荒れ狂っているのは風だけではなく、部屋の中だと言うのに稲光が部屋のそこかしこで起こっている。濡れた髪が一斉に逆立つ。部屋の中は、そこはまぎれもなく手に入ったばかりのマリアラの城だったが、とにかく電気の嵐だった。轟々と唸りを上げて突風が荒れ狂う中、部屋中のありとあらゆるものが風に煽られて舞い上がって飛び回って壁にぶち当たって…… 「どーしよー!!」 パニックに陥った女の子の悲鳴が聞こえる。 「今度は何したんだ、ラス!」 フェルドが叫んだ。その声でようやく我に返って、マリアラは戸口に駆け寄った、いや、吸い込まれそうになって辛うじて壁にすがりついた。つかまっていないと電気嵐の中に引きずり込まれそうになる。静電気で肌がぴりぴりする。それを堪えて、フェルドの隣から逆巻く風に目を細めつつ中を覗くと、ラセミスタが自分のベッドの上でクッションを抱えて叫んでいる。 「ぼーそー! 暴走した! どーしよやっちゃったよダニエルに怒られるー!」 「いーからこっちへ来い、バカ!」 フェルドは叫んで踏み込もうとしたが、ちょうどそこへ重い本が飛んできて慌てて飛びのいた。右手を上げて本の攻撃を弾いたが、かなりの速度だったので酷く痛かった。頭にぶつかっていたら洒落にならない。気を緩める間もなく続いて飛んできたのは枕、置時計、制服の上着、下着に毛布に巾着袋。置時計は床に叩きつけられて完膚なきまでに叩き壊された。フェルドは物の襲来をことごとく避け、あるいは叩き落し、部屋の中に向かって叫んだ。 「このっ……風よ!」 「ダメー! 魔法使っちゃだめ! このなかは! 魔力の渦がめちゃくちゃで! きゃー!」 叫びがあまりにも切羽詰っていたので、貯めた魔力は風に与えるまでもなく霧散する。 ラセミスタの隣には、ドラム缶を半分にぶった切ったような、複雑怪奇なオブジェがあって、それがこの電気の渦を作り出しているようだ。ラセミスタはそのオブジェから放たれたネジや金属の破片を、持っているクッションで防いでいるようである。ばすばすばすっ、と、部屋中から彼女に向かってさまざまな小物が襲い掛かっている。ラセミスタの持っているクッションに、さまざまな破片が突き刺さっている。致命的なダメージを受けていないのが不思議なくらいだ。叫ばれて風を押さえるのを断念したフェルドは、戸口から一歩引いて当たりを見回した。廊下にはこの騒ぎを聞きつけた魔女たちが、次第に集まりつつある。 マリアラは今飛んできた巾着袋を拾い上げ、何か使えるものがないかと中を覗こうとして、ひときわ大きなラセミスタの悲鳴に顔を上げた。ラセミスタは体が小さい。何とかベッドにしがみついていたものの、荒れ狂う暴風に煽られて、小さな体が浮き上がりそうになっている。浮き上がってしまったら最後、壁に叩きつけられてしまうだろう。マリアラは何も考えずに足を部屋の中に踏み入れ、フェルドも同時に部屋に入ろうとしていて、マリアラは左足、フェルドは右足を、それぞれ同時に部屋の中に、 ――めき。 空間がひび割れるような音がした。 その後のことは、よく覚えていない。 |
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