魔女の別離

第六章(3)

   三日後   リン

 リンは緊張していた。何しろ腕章も着けず、仕事でも研修でも授業でもないのに、【魔女ビル】の十階以上に上るなんて、生まれて初めてだったからだ。
 エレベーターが来た。ホールにいた人たちがぞろぞろと乗り込むのに合わせて、慣れている様子を装って中に入る。乗ったのは七人ほどだ。カルテを持った白衣姿のおじさんは、たぶん医師か薬剤師なのだろうが、三階で降りていった。スーツ姿の偉そうなおじさんたちが三人、七階で降りた。十階でもうふたりが降りて、後に残ったのは、ラセミスタと同じくらい背の低い、女性だった。黒々とした髪を短く切っていて、色白の整った顔立ちは、可愛いと言うより颯爽とした雰囲気だ。首元に鎖がかかっているのが見えるから、たぶん魔女だろう。
 ――魔女だってエレベーターに乗るよ。
 以前マリアラから聞いた話を思い出した。
 ――【魔女ビル】の中、箒に乗って飛ぶのは気が引けるもの。わたしは降りるときはたいてい階段だけど、上がるときはさすがに……
 あれ、でも、待てよ。
 リンはちらちらと横目で彼女をうかがった。
 なんだか、見覚えがあるような。いや、はっきりと知ってる顔だ。でも、誰だっけ。
 と、目があった。彼女はにっこりと笑った。暖かな笑顔に、なんだかホッとする。
「こんにちは、アリエノールさん。先日はどうも」
 彼女が丁寧に挨拶して、リンはようやく思い出した。マリアラの【親】である、ララという、右巻きのラクエルだ。
「あ、こ、こんにちは。すみません、すぐわからなくて」
「いえいえ、前回もこないだも、いつもなんだか、大騒ぎだものね。……そっか。今日はちょうど、お休みだったの?」
「いえ、やっぱり研修中なんです。あと数日で終わるんですけど……今回の研修ではずっと出張所巡りをしていたんですけど、昨日から本土に戻ってきてまして。今は、昼休みです」
「あら、じゃあ、あまりゆっくりは出来ないのね」
「いいえ、それがね、指導官がとってもいい方で。事情を話したら、昼休みの他にもう一時間下さるそうなので、あと……」リンは時計を見た。「一時間四十五分、あります。デラックスに挑むには充分な時間じゃないでしょうか」
「……」
 ララはすぐには賛成しなかった。しばらく考えて、苦笑した。
「マリアラとラスとミランダとあなたの、四人がかりでなら……まあ、そうねえ、何とか時間内に、攻略できるかも知れないわね……」
「……そんなに?」
 わくわくして訊ねると、ララはリンを見て、くすっと笑った。
「相手にとって不足なし、という感じね。頑張って」
「はい、頑張ります」
 リンは嬉しくなって、にっこりした。マリアラの【親】というだけあって、やはりとってもいい人のようだ。
 それからリンは、訊ねた。
「マリアラ、もう、元気ですか? なんだか長引いて、やっと今朝退院できたって、聞きましたけど」
「そうね、本当は、次の日にはもうすっかり良くなっていたのよ。でも酸素欠乏というのは、脳に後遺症を残す怖れがあるそうで、医師が念のためにと様々な検査をしたの。でも本当に、念のため、だったのよ。発見が早かったし、左巻きのレイエルが手を尽くしたんだし、本人はもう元気なのにってブツブツ文句を言ったそうだし、検査の結果も全く問題ないという話だから、もうすっかり元気だと思うわよ」
「会ってないんですか?」
 訊ねると、ララは一瞬、ほんのわずかな一瞬だけ、口ごもった。
 それから、普通の口調で答えた。
「そうなの。今から行こうかな、と思っていたんだけど、デラックスのお邪魔をしちゃいけないわね。また今度にするわ」
「え、でも――」
「いいのよ。あたしはいつでも会えるんだもの」
 そして彼女は、階数表示を見た。つられて見上げると、マリアラたちの部屋があるという十六階の表示が、近づいてきている。十三…………十四…………十五、と、ララが手を伸ばして、十九階を押した。ちん、と軽い音を立てて、十六階で止まる。扉が開いて、リンは降りた。振り返るとララはエレベーターに乗ったまま、ひらひらと手を振った。
「胃に気をつけて。……研修も、頑張ってね」
「ありがとうございます」
 リンは笑って頭を下げた。扉が閉まる。その寸前に、ララが一瞬だけ、とても哀しそうな顔をしたように見えた。でも、見直す間もなく見えなくなってしまった。エレベーターが遠ざかる音が聞こえる。
「悪いことしたかな……」
 リンはつぶやいた。魔女にはシフトがある。ララもきっと、忙しかったのだろう。ようやく時間を作って【娘】の顔を見に行こうとしたのに、リンの来訪でそれを延期させることになってしまった。でもまあ、申し訳ないが、ありがたいことではあった。リンには二時間しか休み時間がないのだ。先日の騒動で二日も研修がつぶれたお陰で、ガストンは残りの研修の日程に、その二日間に予定されていた分を詰め込まなければならなかった。今日の一時間分も併せて、遅れを必死で取り戻さなければならないのに、これ以上それを増やすわけにはいかない。
 昨日ラセミスタから聞いたとおりの道順を通って廊下を歩いていく。角を曲がると、少し先の扉から、フェルドが出てくるのが見えた。扉の中からは賑やかな女の子たちのおしゃべりが聞こえていた。フェルドも一緒に食べればいいのに、遠慮しないでいいのに、と言う声に苦笑で答えて、フェルドは扉を閉めた。賑やかな声が遠ざかり、彼はため息をつく。
 リンは声を上げた。
「やあやあ、調子はどうかね」
 フェルドは顔を上げて、こちらを見た。一瞬だけ身構えるような、後ろめたいような、顔をしたので、リンは屈託なく笑って手を振って見せた。
「早速デラックス、食べにきたよ。フェルドは一緒に食べないの?」
 フェルドはほっとしたようだった。リンを仲間外れにしたことを気にしているのはわかっている。でもフェルドは、ああするのが最善だと思ったのだろうし、当然謝罪もできないだろう。だからリンがわだかまりをもっていないというところを見せれば、それ以上あの件を蒸し返す必要はないのだとわかるだろう。フェルドはうなずいて、苦笑した。
「リンにはあんま時間がないだろうからって、先に注文したのが今届いたとこなんだよ……ラスの奴、張り切ってデラックス以外にもいろいろ頼んでてさ、俺、同じ部屋にいるだけで頭痛がしてきた。ここで飯なんか食っても味わかんないだろうから、自分の部屋で食って来る」
「そーなの? そんなにすごいの、デラックスって」
 フェルドはうなずいた。どことなく、げっそりした様子で。
「担がなきゃ運べないパフェなんて初めて見たよ……」
「担がれてきたの? パフェが!?」
「部屋の前までは台車できた。まあ見てみろよ」
 じゃあな、と手を振って、フェルドは行こうとした。その前に、リンは声を上げた。
「あの」
「ん?」
「……グールドの裁判、日付が決まったんだって。まあ、形式上のもので、判決なんか決まり切ってるけどね。今までの被害者について調べ上げるのに時間がかかるから、ひと月後に予定されてる。ザールたちの取り調べは難航してる。中でもイェイラは、まだ黙秘してるから、なかなか進んでないみたい。……ガストン指導官が、あなたに伝えてくれって言ってたから」
「そっか。わかった。ありがとう」
「ナイジェル副校長が、急遽、出張先のレイキアから戻って来られたの。ガストン指導官はとても喜んでた。元老院の中にも、ガストン指導官の仲間がいたんですって、ひそかに連絡取り合っていた人達が……ナイジェル副校長はその筆頭だったの、だから、これからいろいろと……上手く行くだろうって。校長が亡命した以上、その業務のすべてを副校長が代行する事になるしね、そのまま校長に就任することになるだろうって。だから」
「……そっか」フェルドは微笑んだ。「わかったよ」
「ガストン指導官は」リンは居住まいを正した。「あなたとマリアラに、本当に申し訳ないって……それから、本当に感謝してるって、言ってたわ」
「……それはこっちの台詞。ガストンさんに伝えてくれ。お陰でシフトにも戻れることになったし、いろいろ事態が改善して、ほんとに感謝してるって」
「……シフト?」
 聞き返すと、フェルドは笑った。
「俺の検査は昨日で全部終わった。明後日からシフトに復帰」
「そうなの!? よかった……! おめでとう!」
「お陰様で。あとはヴィヴィが治れば完璧なんだけどな。ちょっとややこしいところが損傷してて、材料揃えるのと神経の修復に手間取ってるんだってさ」
 その時、ばたん、と扉が開いた。ラセミスタがひょい、と顔を出して、
「ちょっと行って……あ!」
 リンに気づいて、ぴょんと背筋をのばした。続いたのは、少し上ずった挨拶だった。
「や、やあリン! ようこそ!」
「あー、やー、どもども。ごめん、立ち話してて遅くなっちゃった」
「いいい今ちょっと見にいこっかなって、思ったとこなの。ど、どぞ、入って入って」
 ぎこちないが、一生懸命、自然にふるまおうとしてくれている。フェルドは苦笑して、ぺしっ、とラセミスタの額を弾いた。
「緊張し過ぎ」
「う、うるさいな、フェルドは!」
「そんじゃ」
 フェルドはリンに笑みを見せた。本当に感謝してるとその目に言われて、リンも笑みを返した。どういたしまして、と。
「いらっしゃい、リン。待ち時間がもったいないから、先に頼んでおいたの。今きたところだよ」
 部屋の奥で、マリアラがにこにこしていた。ミランダは手ずからお茶をいれてくれていたが、顔を上げて微笑んだ。リンも微笑んで、中に入った。ラセミスタが緊張しつつも、リンを促した。
「ここ、座って。ほら見て、どう? これがデラックス!」
 じゃーん、とラセミスタがカーテンを開けると、そこには生クリームと果物とアイスクリームとプリンとチョコレートでできた山がそびえていた。リンは絶句して、そして。
「す、す、……す、」
「んふ」
 ラセミスタが得意そうに笑う。リンは歓声をあげた。
「すっ、……ごーい! 何これ、何これ!? きゃー! まさかここまでとは! 目の当たりにするとすごい迫力だね……! 雑誌で見たよりはるかにすごいね……!」
「それからほらこれ、見て見て! 注文しちゃったのー!」
 ラセミスタが指さした先には、あの、コオミ屋の菓子詰め合わせ(一番大きいの)が鎮座していて、リンは叫んだ。
「どうしよう! 罰が当たる! 隕石が落ちてくるかも!」
「大丈夫! みんなで食べれば怖くない! さあ座って座って!」
 すっかりぎこちなさの消えた声でラセミスタが言い、満面の笑みを浮かべて長柄のスプーンをリンに差し出した。
「はいっ、どうぞ!」
「ありがとー! マリアラ、退院おめでとー!」
「あ、ありがと」
 マリアラは苦しそうに言った。笑いたいのを必死で堪えているらしい。ラセミスタがスプーンを構え、リンも構えた。まるで剣士が誓いの儀式でもするかのように。マリアラがくすくす笑いながら同じように構え、最後にミランダが倣った。
「よっしゃー!」リンは叫んだ。「いくぜ野郎どもー!」
「おー!」
「おー!」
「おー!」
 誰からともなく、かちん、とスプーンが打ち鳴らされる。四本のスプーンはそのまま、真下にあったデラックスにそれぞれ突き立てられた。ひと口食べて、リンはぞくぞくした。この味が、このクオリティが、このバケツのような巨大な入れ物の底の底まで詰まっているわけだ……!
「……! ……!! ……!!!」
 無言で感動に打ち震えるリンと、無言でパフェの攻略を始めたラセミスタをよそに、マリアラはゆっくり食べながら、のんきな声を上げた。
「あー、今日は四人だし、気楽だなあ」
「こないだはこれ、ふたりで食べたんでしょ。大変だったわねえ。フェルドなんか見ただけで逃げちゃったじゃない」
 ミランダが言って、マリアラはもうひとすくい食べて、身を震わせた。
「最後の方ではもう、もうごめんなさい許してくださいわたしが悪かったです、という気分になった。でも……フェルドって、本当に甘い物、嫌いなんだね」
「……」
 ミランダはスプーンをくわえて、眉根を寄せた。
「さあそれが……うーん。昔の記憶では、確か、そんなに嫌ってなかったと思うのよね……ね、ラス?」
 ラセミスタは答えなかった。聞こえていないらしい。ミランダは苦笑して、マリアラに視線を戻した。
「あたし、孵化したの四年前でしょう。【魔女ビル】に住んで三年になるの。そのごくごく最初の方……ええと、あたしが十四歳の頃、とすると、フェルドは十五か。……一度見たんだよなあ。美味しいおはぎの時」
「おはぎ?」
「あんこたっぷりの、有名店のを、ダニエルが山ほど買って来て。あたしももらったの。あ、そう。そうよ。あたしが仮魔女期を終えて【魔女ビル】に入った、本当に初日か次の日か、それくらいのときよ。あたし、【親】がイリエルだったでしょう。自分でもずっとそうなんだと思ってたわ、たまごの時。でも孵化してみたらレイエルだったし、〈アスタ〉が、既にいた右巻きの誰とも組ませてくれなくて、落ち込んでいたから……まだ年齢が足りなくて、医局のシフトにも入れなかったし……気晴らしにって、ダニエルが呼んでくれたの」
 ミランダはこめかみに指を当て、記憶を探ったようだった。
「……そこにフェルドもいた。まだ、孵化する前よ。ラスもいたわ。あの時は、ラスとは全然仲良くなれなかったんだけど……あの時のふたりの食べっぷりったらすごかったわ。今のラスとリンみたい。フェルド、ひとつの箱の半分近くを一人で食べたの。こーんな大きな箱よ? ララがどこに入るのよとか、それで太らないなんて嫌みだとか、散々文句を言ったから覚えてるわ」
「……ふうん?」
「その後孵化して……一年の仮魔女期を経て、【魔女ビル】にまた住むようになって。それからちゃんとした顔見知りになったんだけど、その時にはもう、全然食べなくなってた。成長していらなくなったのかしら。二年くらいで、味覚も随分変わるものね」
「そうなんだ。でも……そんなに食べたの? すごいね」
 マリアラはくすくす笑って、パフェにまたスプーンを突き刺した。大きくひとすくい取って、口にいれて、うなずいた。
「……まあでも、こうしてゆっくりのんびり食べる分には、やっぱり美味しいね。こんなに美味しいパフェ、他に食べたことないもの。おお、すごい。みるみる減るねえ。これ、ヴィヴィが元気になったら、またみんなで食べようよ」
「そうね、いい考え。にしても……見ほれちゃうわね、ふたりのこの食べっぷり」
「長い付き合いだけど、甘いもの好きって知ってはいたけど、ラスといい勝負ができるほどだとは知らなかったなあ。さすがだなあ」
 なんだか感心されているようなのだが、構っている場合ではなかった。口の中ではさまざまなバリエーションの甘い味が官能的なハーモニーを奏でている。コーンフレークのさくさくと、ねっとりしたチョコレートケーキ、ぷるるんとしたプリンに汁気たっぷりのクィナ、冷たい滑らかなアイスクリームにふわふわクリームといった、食感の違いも芸術的だ。なんて美味しいんだろう。ラセミスタの食べっぷりもなるほどたいしたものだ。なかなかやるじゃないか、とリンが見ると、ラセミスタと目があった。彼女はニッと笑った。なかなかやるじゃないか、とその目が言っている。
「さっきはフェルドがいたから聞きづらかったけど……シグルドとはゆっくり話できたの?」
 マリアラがお茶を飲みながらたずねた。ミランダは少し、首をすくめた。
「ん……まあ、ね。ひと月後にまた、来てくれるって……」
「そうなの? やったね。今度こそ今度こそ、いっぱい遊ばなくちゃ」
「ん……」
 ミランダがパフェをひと口食べ、マリアラはその横顔を見つめた。
「……なんかあった?」
「んー……」
 歯切れが悪い。リンはパフェに挑みつつもその会話に聞き耳を立てた。恋の話はパフェと同じくらい大好物だ。
 マリアラは黙って待っている。早く促せばいいのに、と思いながら、でも、ここで急き立てないところが、マリアラが聞き上手と言われる理由なのかもしれない、とも思った。
 ミランダは、ようやく口を開いた。
「ほら、もともと来週って言ってたでしょ? 用事ができたから、繰り上げてくれって……」
「ああ、そう言えばそう言ってたね」
「うん。来週……もう今週か。今週の金曜日にね、検定試験があるんだって。駅員のね。シェロムさんに、ぜひ受けるようにって、勧められたそうなの。あの……あの駅は、エスメラルダのルクルスが一番最初にたずねる場所のひとつなんだって。シェロムさんは、そういう、ルクルスの受け入れというか、世話役のようなことをしているそうなの。でね、他の駅に比べて見習いの数が多いから、……検定試験を受けて、資格を取ったら、別の駅に配属されることになるそうなの」
「ふうん」
「それに、ラルフが言ってたのよ。シグルドは、十六歳を過ぎても南大島に残って世話役をしていたほどの人だって。それは、なまはんかな覚悟じゃなかったはずだって。フェルドが言ってた、ハイデン、という人? マリアラも知ってるんだよね? その人たちと同じ仕事をしていた人で、子供みんなからもとても慕われていて、ハイデンさんからも、他の世話役たちからも、すごく頼りにされていたんだって。……だから、シェロムさんもきっと、シグルドに、自分と同じような仕事をさせたがるだろうって……将来的にはね。ルクルスが出てきたら、生活が軌道に乗るまで衣食住を手配して、仕事を斡旋するとか、エスメラルダのルクルスに仕送りするものを取りまとめるとか……そういう仕事ね。だから……試験をたくさん受けて、いろんな駅に派遣されて、いろんな場所でいろんな経験を積むことになるんじゃないかな、と」
「……」
「だから」ミランダは微笑んだ。「そうなったら、こないだみたいに、会いにきてくれることは……できないんじゃないかしら」
「……でも」
「ああ、もちろん、リファスより近い駅に配属されれば、来てくれやすいわよね。あたしが会いに行ければそれが一番いいんだけど……それは無理だし……でも、ほら。会いに来てくれると嬉しいけど、旅費もかかるし時間もかかるし……その……試験勉強とか、世話役としての仕事とかの、邪魔になるんじゃないかなって……考えちゃって。負担になったら……」
「シグルドから、そう、聞いたわけじゃないんでしょ」
 マリアラの言葉は、思いがけず、しっかりしていた。疑問ではなく、断定だったのだ。ミランダはちょっと肩を震わせた。
「……うん」
「シグルドは、ひと月後に会いに来てもいいかって、ミランダに聞いたんでしょ。ミランダ、ちゃんと、いいよって、返事したんでしょ?」
「うん……返事した時は、ラルフから聞く前だったし……」
「わたしは」マリアラは憤然と、パフェにスプーンを突き刺した。「シグルドが会いたいと思っていて、ミランダもそう思っているなら、それ以上、自分が邪魔になるかもとか、今のうちに会わないようにした方がいいかもとか、考える必要はないと思う」
「……うん」
 ミランダは、ほっとしたようだった。たぶん彼女は、誰かがそう言い切ってくれる言葉を聞きたかったのだろうと、リンは考えた。リンは一心不乱を装って、パフェを食べ続けていた。この先いろいろな駅に配属されることになる、イェルディアとか、移動に数日かかるような駅に行くのかもしれない。それはそうかもしれないが、でも、何年も先の話なのだから、その頃には別れてるかも知れないじゃないか、と、自らの経験を鑑みてリンは考えたが、それを口に出さないだけの分別はあった。
 ――明後日からシフトに復帰。
 さっきフェルドは、そう言った。
 保護局員の中では、イェイラが今回の事件を起こしたのは、フェルドを陥れようとしてのことだったというのは、推測ではなく既に事実になっている。イェイラは一言も言わないのだが、グールドがぺらぺら話したし、状況もすべてそれを指していた。当然フェルドももうわかっているだろう。マリアラが殺されかけて、その後落とし穴で酸欠になりかけたというのも、ある意味では、フェルドの相棒だったせいなのだと。
 リンはそれがとても心配だった。
 フェルドもマリアラも全然悪くないし、ただ巻き込まれただけなのに、フェルドがマリアラとの相棒を解消してしまうのではないかと、それが心配だったのだ。
 でもさっきの言葉からすると、どうもそうはならなかったらしい。この三日の間にマリアラが説得したのかもしれない。マリアラが今、珍しく強い口調で自分の意見を述べたのは、シグルドを自分に置き換えたからだろう。校長は亡命し、イェイラは捕まった。だからもうこれ以上、ごたごたが起こるはずがないのだし、そもそもマリアラもフェルドも相棒を解消したいと思っていないのなら、今後起こるかもしれない不都合を憂慮して解消を選ぶ必要などないと、マリアラは考えたに違いない。
 ――ほんとに頑固な子だ。
 リンはうっとりそう思った。今回の件で、一瞬たりとも、フェルドのことを恨んだり、その相棒の地位を嘆いたりしなかっただろうマリアラは、すがすがしいほど頑固だ。大好きだ。
「シグルドがフェルドに言ってたの、あたし、聞いちゃった」
 ずっと黙ってパフェを食べていたラセミスタが、出し抜けに言った。ミランダと、そしてマリアラが、唐突に出されたその名を聞いてぴしっと背筋を伸ばしたのにリンは気づいた。
 そして内心、にやりとした。
 ミランダはシグルドの名を聞いて居住まいを正した。では――マリアラは?
 よしよし、と思う。そうこなくっちゃ。
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